Undo - 独自研究除去。(常習IPによるもの。)
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
Undo - 独自研究除去。(常習IPによるもの。) |
||
4行目:
|-
|style="text-align:center; background-color:#eee;"|面積
|style="text-align:right;"|'''2,405.2''' [[平方キロメートル|km²]]<br />(全県比:25.8%)<br />(2010年10月1日)<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.yamagata.jp/ou/sogoshicho/shonai/337003/syonaigaikyo23/h23gaikyo.pdf 庄内地域の概況
|-
|style="text-align:center; background-color:#eee;"|[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]
|style="text-align:right;"|'''294,143''' 人<br />(全県比:25.2%)<br />(2010年10月1日)<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.yamagata.jp/ou/kikakushinko/020052/data/koku/h22_kokutyo/h22kokutyo_zinkou_gaiyosyosai.pdf
|-
|style="text-align:center; background-color:#eee;"|[[推計人口]]
14行目:
[[ファイル:山形県地域区分図.svg|thumb|200px|right|山形県 地域区分図<br />{{Nowrap begin}}{{Color|#d94|■}}橙:村山地方{{\wrap}}{{Color|#59d|■}}青:最上地方{{\wrap}}{{Color|#7d6|■}}緑:置賜地方{{\wrap}}{{Color|#b4b|■}}紫:庄内地方{{Nowrap end}}]]
[[ファイル:Yamagata_Shonai-block.png|thumb|200px|right|庄内地方の自治体<br />{{Nowrap begin}}1. 酒田市{{\wrap}}2. 鶴岡市(旧){{\wrap}}3. 立川町(現庄内町){{\wrap}}4. 余目町(現庄内町){{\wrap}}5. 藤島町{{\wrap}}6. 羽黒町{{\wrap}}7. 櫛引町{{\wrap}}8. 三川町{{\wrap}}9. 朝日村{{\wrap}}10. 温海町{{\wrap}}11. 遊佐町{{\wrap}}12. 八幡町{{\wrap}}13. 松山町{{\wrap}}14. 平田町{{Nowrap end}}]]
'''庄内地方'''(しょうないちほう)は、[[庄内平野]]を中心とした[[山形県]]の[[日本海]]沿岸部を指す。中心都市は、[[
▲'''庄内地方'''(しょうないちほう)は、[[庄内平野]]を中心とした[[山形県]]の[[日本海]]沿岸部を指す。[[鶴岡市]]と[[酒田市]]が、互角の二大都市として並立している。
== 概要 ==
旧[[出羽国]]([[東北地方]]日本海側)の沿岸南部に位置し、西を日本海に、東を[[朝日山地]]、[[出羽三山]]に、北を[[鳥海山]]に、南を[[鼠ヶ関]]に挟まれた位置にある。[[庄内平野]]を取り囲む朝日山地
当地は、古くから日本海沿岸地域や[[
== 地理 ==
28 ⟶ 27行目:
[[最上川]]の最下流域や[[赤川]]の流域に当たり、[[庄内平野]]を抱える。冬には[[雪]]が多く、雪解け水を利用した[[稲作]]地帯として知られ、[[庄内米]]はブランド米ともなっている。
また、年を通して[[風]]が強いため、
* [[平野]]:[[庄内平野]]
36 ⟶ 35行目:
== 歴史 ==
:''交通に関する歴史は「[[#交通史]]」を参照''
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には、[[大宝寺氏]]
▲古代には[[出羽柵]]や出羽[[国府]]([[城輪柵]])が置かれ、[[畿内]]政府による[[出羽国]]支配の中心地域となった。
1869年[[7月]]
▲[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には、[[大宝寺氏]]や[[東禅寺氏]]らが庄内地方を治めたが、やがて[[最上氏]]と[[上杉氏]]の抗争地となる。結局は上杉氏の傘下に入れられるが、[[関ヶ原の戦い|関ヶ原合戦]]後は最上氏が庄内地方を接収した。
▲1869年[[7月]]には、旧庄内藩を以って[[酒田県]]が設置された。廃藩置県期の[[1875年]]8月には、酒田県庁が鶴岡城下に移転して[[鶴岡県]]に改名された。しかし、[[1876年]][[8月21日]]には、鶴岡県は[[山形県]]に編入され、それ以後は現在に至るまで山形県に属している。
== 地域 ==
51 ⟶ 45行目:
[[酒田市]]を初めとする[[飽海郡]]を'''飽海地区'''(もしくは酒田飽海地区)、旧[[鶴岡市]]を初めとする[[東田川郡]]を'''田川地区'''(もしくは鶴岡田川地区)と呼ぶ事がある。
14市町村あった庄内地方だが、[[2005年]]([[平成]]17年)7月1日に余目町と立川町が合併
=== 都市圏 ===
庄内地方内には、'''[[#都市圏|
:''一般的な都市圏の定義については[[都市圏]]を参照のこと。''
==== 都市圏の変遷 ====
庄内地方2市3町は、県の機関である[[庄内総合支庁]]に管轄されている。以下に[[都市雇用圏]](10% 通勤圏)の変遷を示す。10% 通勤圏に入っていない町村は、各統計年の欄で灰色かつ「-」で示す。
121 ⟶ 114行目:
== 交通 ==
[[国道7号]]と[[羽越本線]]が、幹線として
=== 交通史 ===
庄内地方は、西を[[日本海]]に、残り三方を山地に挟まれているため、古くから内陸部よりも日本海沿岸の[[港町]]や[[畿内]]との[[海運]]による繋がりが深かった。[[鉄道]]が発達して海運が衰えた明治時代以後も、[[羽越本線]]や[[国道7号]]で日本海沿岸の地域(特に[[新潟県]][[下越地方]]と[[秋田県]]南西部)と結ばれ、山形県内陸部や[[宮城県]]との繋がりは浅かった。それでも1980年代までに、東の[[山形市|山形]]へは峠道の[[国道112号]]で、[[新庄市|新庄]]へは[[陸羽西線]]・[[国道47号]]、列びに[[最上川]]の舟運で結ばれ、一定の繋がりを築いていた。
20世紀末になると、庄内地方の交通事情は劇的に変化した。1982年に[[上越新幹線]]が[[大宮駅 (埼玉県)|大宮駅]] - [[新潟駅]]間で開業(現在は[[東京駅]]まで乗り入れ)したことにより、陸路で4時間以内に[[東京]]と結ばれるようになった。また、1991年の[[庄内空港]]の開設により、東京に直接アクセスできるようになるのみならず、[[札幌市|札幌]]や[[大阪市|大阪]]との直行便も開設された。1981年の[[月山道路]]の開通(1990年から冬季も通行可能)、1990年代を通じて建設されて開通した[[山形自動車道]]によって、山形県内陸部との繋がりも深くなって来た。また、1999年には[[山形新幹線]]が[[新庄駅]]まで延伸された。これ以後、庄内地方は「陸の孤島」のような地方から脱して、地域間交流が活発な地方に変化しつつある。
現在、[[山形自動車道]]の開通効果のために、[[仙台市|仙台]]([[太平洋]]側)や山形(山形県内陸部)との間で[[高速バス]]の本数が増えて来ている。庄内地方の各バス停には、合計200台分の駐車場が併設されており、[[パークアンドライド]]も可能である。歴史的経緯から日本海沿岸地域との交流が続く一方で、交通事情の変化による地域再編が起きている。なお、秋田・新潟方面へ向けては[[日本海東北自動車道]]が漸次建設中である。
==== 中距離移動 ====
;
* [[秋田市
* [[新潟市
* [[山形市
* [[仙台市
* [[大崎市]][[古川市|古川]]へ:[[陸羽西線]]と[[陸羽東線]]
**
** 新潟
; 酒田市からの上記交通機関の運行頻度・移動コスト・時間等
: (料金は、往復割引片道分)
* 秋田市へ:104分 - 110分、約 130 [[キロメートル|km]]
* 新潟市へ:105分 - 128分、約 140 km
* 山形市へ:120分程度、約 120 km
* 仙台市へ:180分程度、約 180 km
==== 長距離移動 ====
; [[酒田市
: (料金は、往復割引片道分)
* 高速バス:[[夕陽号]](夜行)1往復/日、約9時間
276 ⟶ 261行目:
}}
{{-}}
==地域メディア==
313 ⟶ 289行目:
===舞台となった作品===
====テレビドラマ====
*[[おしん]]:奉公先が酒田市の設定
====映画====
336 ⟶ 312行目:
*[[庄内藩]]
*[[庄内弁]]
*[[最上地方]]
*[[村山地方]]
351 ⟶ 325行目:
{{DEFAULTSORT:しようないちほう}}
[[Category:山形県の地理]]
[[Category:庄内総合支庁
|