「山田奉行」の版間の差分

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第61回式年遷宮の年が10年ずれています。
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当初、奉行所は[[伊勢国]][[山田 (伊勢市)|山田]](現在の[[三重県]][[伊勢市]])に置かれ、のち伊勢国[[度会郡]]小林(現・伊勢市[[御薗村|御薗町]]小林)に移転した。
 
[[慶長]]8年(1603年)、幕府は伊勢大神宮神領地に「山田奉行所」を置いた。外宮・内宮両大神宮の警固はもちろん、[[伊勢湾]]・南海での異国不審船の取締りや伊勢志摩神領以外も支配したが、「日光御奉行」と同等同格の「山田御奉行」の最重要任務は「二十一年目御遷宮奉行」を取り仕切る任務であった。そもそも「御遷宮奉行」は伊勢大神宮の[[祭主]]が兼任していたが、「影流始祖[[愛洲久忠]]」の父であろう「[[愛洲忠行|愛洲伊予守忠行]]」が武家として初めて大神宮[[神領奉行]]職に[[文明 (日本)|文明]]年間任じられた。([[神領奉行]]所は[[岩出祭主館跡]]と思われる。) 江戸幕府は「愛洲伊予守忠行」の先蹤を引継ぎ、以来明治御維新まで一度も途切れず、[[源頼朝]]以上の「敬神敬祖」の範を示し[[神宮式年遷宮|御遷宮]]を行ってきた。御遷宮に掛かる費用は[[平成]]155年([[20031993年]])に行われた第61回式年遷宮で約327億円と言われており、いかに歴代山田奉行が伊勢大神宮に奉仕したかがわかる。
 
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