「スペアミント (競走馬)」の版間の差分

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'''スペアミント'''(''Spearmint'')は、[[イギリス]]の[[競走馬]]。1900年代に活躍した。馬名は母メイドオブザミントからの連想。
 
2歳戦は病気がちで、デビュー戦こそ頭差で勝ったものの、ニューマーケットのハンデキャップで惨敗するなど3戦して1勝で終わり、一度は[[クラシック (競馬)|クラシック]]候補から外れることになった。しかし、[[厩舎]]でクラシック候補として期待されていたフレアが[[1000ギニー]]優勝後に故障してしまい、調教で名馬[[プリティーポリー]]を負かすほどに調子を上げていたスペアミントを予定を変更して[[ダービー (競馬)|エプソムダービー]]に出走させることにした。この賭は見事に当たり、スペアミントが従来のレコードを2秒8縮める2分36秒と4/5のタイムで優勝した。この後[[フランス]]の[[パリ大賞典]]にも遠征し、快勝している。だが、このパリ大賞典故障を発生、回復を待ったが完治せず、結局1度も出走することなく[[引退]]、[[種牡馬]]入りした
 
種牡馬入り後はそこそこの成功を収め、エプソムダービー馬スピオンコップ、愛[[二冠馬]]スパイクアイランド等の産駒を送り出した。スピオンコップはさらに3代連続でダービーを制すことになるフェルスティードを出したが、一方で現役時代にあまり活躍できなかった娘達、特に[[プラッキーリエージュ]]、キャットニップの影響も無視できないほど大きなものである。プラッキーリエージュはサーギャラハッド、[[ボワルセル]]など4頭の[[リーディングサイアー]]を輩出し、キャトニップは孫に[[ネアルコ]]を出した事で後の[[サラブレッド]]へ多大な影響を及ばした。1924年6月24日疝痛で死亡、遺体は繋用地であったEyrefield Lodgeに埋葬さた。
 
== 主な産駒 ==