「中国文学」の版間の差分

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そのなかで[[王禹偁]]は質朴平淡な自然体の詩を作った。[[仁宗 (宋)|仁宗]]期に入り、[[欧陽脩]]に重んじられた[[梅尭臣]]と[[蘇舜欽]]らが清新な詩を作り、それまでの詩風を一変させた。これにより貴族による抒情的て美的な詩風を特徴とする唐詩に対し、[[士大夫]]による知性的で政治的な詩風を特徴とする宋詩の基礎が確立された。
 
[[神宗 (宋)|神宗]]期に入ると、[[王安石]]が政治的な議論詩を多く作った。そして、[[蘇軾]](蘇東坡)(1036年 - 1101年)は機知に富んだ優れた作品を残し、後世に大きな影響を与えた。蘇軾の門下に多くに優れた詩人が現れたが、特に[[黄庭堅]]は蘇軾に匹敵するとされ、世に「蘇黄」と称された。[[南宋]]時代、黄庭堅を模した詩風が隆盛し、[[江西詩派]]と呼ばれる一派を形成した。
 
宋が南渡した激動期において唐詩の抒情性への回帰が見られ、その詩風は南宋四大家と呼ばれる[[陸游]]・[[范成大]]・[[楊万里]]・[[尤袤]]らによって発展させられた。[[南宋]]後期になるといくつもの流派が形成され、そのなかで[[江湖詩派]]が有名である。江湖詩派では下級官僚や山林の隠士など政治上の地位がない小詩人が活躍した。南宋末、元の侵攻のなか、[[文天祥]]など愛国の詩が詠まれた。