「一〇〇式輸送機」の版間の差分

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== 概要 ==
[[File:IJA Typ 4 Fallschirm.jpg|thumb|right|250px|1944年12月、[[レイテ島の戦い]]・[[レイテ島の戦い#飛行場奪還作戦|テ号作戦]]において、「高千穂空挺隊」こと[[挺進連隊|第2挺進団]]で使用される一〇〇輸一型(キ57-I)ないし二型(キ57-II)]]
[[File:Mitsubishi Ki-57 Topsy wrecked.jpg|thumb|right|250px|1945年、終戦直後の[[調布飛行場]]における[[第1航空軍 (日本軍)|第1航空軍]]司令部飛行班([[陸軍飛行戦隊#部隊マーク|部隊マーク]]「日章」)所属の一〇〇輸一型(キ57-I)ないしニ型(キ57-II)]]
[[1939年]](昭和14年)、陸軍は三菱に対して[[九七式輸送機]](キ34)の後続である新型輸送機'''キ57'''の開発を指示した。指示の主な内容は'''[[九七式重爆撃機|九七式重爆撃機一型]]'''('''キ21-I''')の胴体部分を改設計し、人員輸送を主目的とするというものだった。[[1940年]](昭和15年、[[神武天皇即位紀元|皇紀]]26'''00'''年)に初飛行した本機の諸性能は、母体である九七式重爆の特性をそのまま引き継いでおり、飛行試験でも特に問題はなかったため'''一〇〇式輸送機'''として制式採用された。