「不思議のメダイ」の版間の差分

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[[1830年]][[7月18日]]、[[パリ]]のバック通りにある[[修道院]]でカタリナ・ラブレは子供の声を聞き目を覚まし、そこで彼女は[[聖母マリア]]の出現を目撃した。聖母マリアは「神はあなたに使命を委ねます。あなたは否定されるでしょう、しかし恐れてはいけません。あなたは恩寵によってその使命をなしとげるでしょう。[[フランス]]、そして世界は今、悪の時代です」と話した<ref name=MMira/> 。
 
同年[[11月27日]]、カタリナは夕方の想の時間に聖母マリアが再び現れたと報告した。聖母マリアは楕円形の枠の中で地上に立ち、様々な色の指輪をしており、ほとんど指輪からは輝く光線が地上に降り注いでいた。楕円形の枠のへりには “''Ô Marie, conçue sans péché, priez pour nous qui avons recours à vous.'' ” ([[無原罪の御宿り|原罪無くして宿り給いし聖マリア]]、御身に寄り頼み奉る我らのために祈り給え)という文字があり、そして楕円形の枠は裏返り、12の星の輪と十字架の上に乗る大きなMの文字、王冠を冠し、茨の冠つつまれた[[イエズス・キリスト]]の心臓([[聖心]])と、王冠を冠し剣の刺さった聖母マリアの心臓([[御心]])が見えた。
カタリナはまた、聖母マリアがこのイメージを聴罪[[司祭]]に伝え、彼らにそのメダイを身に着けるように言い「それを身につける人は大きな恵みを受けるでしょう」と話しなさいと言うのを聞いた<ref name=glass>[http://www.newadvent.org/cathen/10115a.htm Glass, Joseph. "Miraculous Medal." The Catholic Encyclopedia. Vol. 10. New York: Robert Appleton Company, 1911. 20 Dec. 2012]</ref>。
 
カタリナは言われたとおり実行し、司祭は2年間の調査およびカタリナの日々の振る舞いについての観察の後、カタリナの身元を明かさずにパリの[[大司教]]に情報を持っていった。そして要請は受け入れられて大司教の許可が与えられ、金細工師のアドリアン・ヴァシェットにより聖母マリアによって示されたデザインされによって、作り出された<ref>McMenamin, M. 2010. Precisely dated early versions of the Miraculous Medal. ''Numismatics International Bulletin'', v. 45, nos. 3/4, p. 43-48.</ref><ref>{{cite book |title=The museum of the mind: art and memory in world cultures|author=Mack, John|publisher=British Museum|year=2003}}</ref> 。それ以後、このメダイを身につけ聖母に取り次ぎを願う人々に、いろいろな奇跡の恵みが与えられたため、いつとはなしに「不思議のメダイ」と呼ばれるようになった<ref>[http://www.pauline.or.jp/chripedia/mame_husigimedal.php キリスト教マメ知識 不思議のメダイ] [[女子パウロ会]]</ref>。
 
不思議のメダイに関しての多くの著しい出来事の中の一つは、[[ストラスブール]]の{{仮リンク|マリー=アルフォンス・ラティスボンヌ|fr|Marie-Alphonse Ratisbonne}}の回心である。ラティスボンヌは友人に対し教会に入ることはないと宣言していた。しかし、友人の強い勧めにより彼は不思議のメダイをつけることにしぶしぶ同意し、[[ローマ]]の{{仮リンク|サンタンドレア・デッレ・フラッテ教会|It|Sant'Andrea delle Fratte}}に入ると、不思議のメダイが象徴している姿の聖母マリアが彼の目の前に現れ、彼は速やかに回心した<ref name=glass/>。