「説文解字」の版間の差分

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[[Image:Shuowen.jpg|thumb|説文眞本]]
'''説文解字'''(せつもんかいじ、{{ピンイン|Shuōwén Jiězì}})は、最古の[[部首]]別[[漢字]][[字典]]。略して'''説文'''(せつもん、{{ピンイン|Shuōwén}})ともいう。[[後漢]]の[[許慎]](きょしん)の作で[[和帝 (漢)|和帝]]のとき(紀元[[100年]]/[[永元 (漢)|永元]]12)に成立。叙1篇、本文14篇。所載の[[小篆]]の見出し字9353字、重文1163字。漢字を540の[[部首]]に分けて体系付け、その成り立ちを「[[象形]]・[[指事]]・[[会意]]・[[形声]]・[[転注]]・[[仮借]]」の6種([[六書]];りくしょ)に分けて解説し、字の本義を記す。
 
[[部首]]の立て方は造字の理論に従っているが、[[陰陽五行]]の理念に基づく面が強く、現今の[[字書|漢字字典]]における形状を主体とした部首の立て方とは幾分様相が異なる。成立の当時、[[甲骨文字]]が知られていなかったため、漢字の本義を俗説や[[五行思想|五行]]説等に基づく牽強付会で解説している部分もあるが、19世紀に至るまで漢字研究の「聖典」的地位を占め、その説は絶対視されてきた。新たな研究成果でその誤謬は修正されつつも、現在でもその価値は減じていない。
 
== 『説文解字』成立の背景 ==
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== 日本の国宝 ==
*説文解字木部残巻 - 本紙 縦25.4cm、全長243cm/唐代9世紀/[[武田科学振興財団]] [[杏雨書屋]]蔵
*:[[唐]]の[[元和 (唐)|元和]]15年([[820年]])に書写されたと推定される。[[北宋]]の[[徐鉉]]・[[徐鍇]]兄弟が校定する前の[[テキスト]]を伝える貴重な[[写本]]である。木部の一部6葉188字を収め、[[篆書]]部文には懸針体という書体が使われている。[[]]や蔵書印から分かることは、[[南宋]]の宮廷に所蔵されていたものだが、[[清]]末には[[莫友之]]に所蔵され、やがて日本の[[内藤湖南]]の手に渡った。内藤湖南の死後、杏雨書屋が所蔵し現在に至っている。
 
== 外部リンク ==
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*[http://www.shuowenjiezi.com Online text version dictionary with 段玉裁 "說文解字注", "釋名 Shiming", "爾雅 Erya", "方言 Fangyan", "廣韻 Guangyun" définitions and glosses - Alain Lucas and Jean-Louis Schott]
 
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