「市川團十郎」の版間の差分

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: 初代團十郎の父。祖先は[[甲州]]武士の出身で[[北条家]]の家臣とされ、北条家の滅亡後は[[下総国]]で[[郷士]]となったとする説があるが明確ではない。重蔵の代に土地を処分し江戸へ出た 以上市川家公式サイトより要約(住所は和泉町とも)。面疵(つらきず)の重蔵、菰(こも)の重蔵の異名をもつ。重蔵が[[非人]]出身とする説もあり、そこから菰(=[[乞食]])と呼ばれたのだともいう。--><!-- 本項は歌舞伎の「市川團十郎」の名跡について。初代の父は歌舞伎役者でも團十郎でもないので、割愛するべきかと。-->
* [[市川團十郎 (初代)|初代 市川團十郎]]
** 役者堀越重蔵の長男、1660–1704。[[立役|荒事]]芸を創始。<!--作者名[[三升屋兵庫]]。-->
** 初代[[市川海老蔵]] → 初代市川團十郎
** [[立役|荒事]]芸を創始。
* [[市川團十郎 (2代目)|二代目 市川團十郎]]
** 初代の長男、1688–1758。
** 初代[[市川九蔵]] → 二代目市川團十郎 → 二代目市川海老蔵<!--[[穢多頭弾左衛門]]の支配から脱却する。-->
** [[荒事]]芸の完成。[[助六]]の元になった演目と[[毛抜 (歌舞伎)|毛抜]]初演。
* [[市川團十郎 (3代目)|三代目 市川團十郎]]
** 二代目の養子、1721–1742。実父は高弟の[[三升屋助十郎]]。
** 初代市川升五郎 → 三代目市川團十郎
** 将来を嘱望されていたが22歳で病死。
* [[市川團十郎 (4代目)|四代目 市川團十郎]]
** 二代目の養子(あるいは実子)、1711–1778。実父は[[芝居茶屋]]の和泉屋勘十郎、あるいは二代目。
** 三代目松本幸四郎 → 五代目市川團十郎 → 三代目松本幸四郎 → [[市川蝦蔵]] → 成田屋七左衛門(隠居名)→ 初代[[市川白猿]](舞台復帰後)
* [[市川團十郎 (6代目)|六代目 市川團十郎]]
** 五代目の子、1778–1799(早世)1778–1799
** 四代目市川海老蔵 → 六代目市川團十郎
** 風邪をこじらせて22で急死。
* [[市川團十郎 (7代目)|七代目 市川團十郎]]
** 五代目の孫で六代目の養子、1791–1859。[[歌舞伎十八番]]を選定
** 初代[[市川新之助]] →(五代目)市川ゑび蔵 → 七代目市川團十郎 → 五代目市川海老蔵 → 成田屋七左衛門(蟄居謹慎時)→ 幡谷重蔵(旅回り)→ 二代目市川白猿
** [[歌舞伎十八番]]を選定。四代目鶴屋南北と組み「色悪」の確立。天保の改革による江戸からの追放(後復帰)。
* [[市川團十郎 (8代目)|八代目 市川團十郎]]
** 七代目の長男、1823–1854([[大坂]]で自殺)1823–1854
** 二代目市川新之助 → 六代目市川海老蔵 → 八代目市川團十郎 → 三代目市川白猿
** [[与話情浮名横櫛|切られ与三]]初演。32歳で自殺。
* [[市川團十郎 (9代目)|九代目 市川團十郎]]
** 七代目の五男、1838–1903。「劇聖」と呼ばれる
** 三代目[[河原崎長十郎]] → 初代[[河原崎権十郎]] → 七代目[[河原崎権之助]] → [[市川三升|河原崎三升]] → 九代目市川團十郎
** 「劇聖」と呼ばれ、[[團菊左時代]]を築く。[[活歴]]等の[[演劇改良運動]]。[[新歌舞伎十八番]]制定。
* [[市川團十郎 (10代目)|贈十代目 市川團十郎]]
** 九代目の婿養子(長女・二代目市川翠扇の夫)、1882–1956。実父は履物商後東京市議の稲延利兵衛。銀行員から役者に転身
** 堀越福三郎 → 五代目[[市川三升]] → 贈十代目市川團十郎(告別式で追贈)
** 実父は履物商後東京市議の稲延利兵衛。銀行員から役者に転身。
* [[市川團十郎 (11代目)|十一代目 市川團十郎]]
** 十代目の養子、1909–1965。実父は[[松本幸四郎 (7代目)|七代目松本幸四郎]]。
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