「ポーランド派」の版間の差分

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== 略歴・概要 ==
このグループは[[イタリア]]の[[ネオレアリズモ]]の影響を強く受けていた。[[1956年]]以降のポーランドにおける自由化への変革を先取りし、[[第二次世界大戦]]とドイツによる占領の期間の[[ポーランドの歴史]]の複雑さを描き出した。なかでももっとも重要なトピックは、もと[[国内軍 (ポーランド)|国内軍]]([[:en:Armia Krajowa|Armia Krajowa]]いわゆる''AK'')兵士だった世代と戦後ポーランドにおける彼らの役割、そして、ナチス・ドイツの[[強制収容所 (ナチス)|強制収容所]]や[[ワルシャワ蜂起]]のような国民的悲劇であった。政治的変革は同グループにのおかげで彼らはポーランドのい過去歴史出来事についてよりオープンに語ることを可能ができるようなった。しかしながら、[[1945年]]以降の歴史がはじまり、現代の事件つい関しの映画作品いたって少数だったときでも、[[検閲]]の規則は依然強硬であったので、同時代をあつかう映画作品はごく少数にとどまった。これが、「ポーランド派」のメンバーとイタリアのネオレアリズモの作家たちのあいだの大きな違いである。
 
「ポーランド派」は、まず第一にポーランドの国民性を強調し、[[社会主義リアリズム]]の公式ガイドラインに公然と反対した[[中央ヨーロッパ]]で初めての芸術的ムーヴメントのひとつであった。同ムーヴメントのメンバーたちは、集団性に反対して、個人的役割を強調する傾向にあった。このムーヴメントには2つの傾向があった。[[アンジェイ・ワイダ]]のような若い監督は、一般にヒロイズムの理想を追求していた。もう一方のグループ(もっとも特筆すべきは[[アンジェイ・ムンク]])は、ポーランド的性格をアイロニーやユーモア、そして国民的神話の解剖を通して分析した。