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成人後は料理人として或る貴族に仕え、主人の娘が商の君主・子履(し・り、後の[[成湯]]、湯王)に嫁ぐ際に、その付き人として子履に仕える。そこでその才能を子履に認められ、商の国政に参与し重きを成すにいたる。
 
商が夏を滅ぼす際にも活躍し({{仮リンク|鳴条の戦い|zh|鸣条之战}})、商(殷)王朝成立に大きな役割を果たし、伊尹は[[阿衡]](あこう)として湯王を補佐し、数百年続く商王朝の基礎を固めた。
 
湯王の死後、その子に当たる[[外丙]]と[[仲壬]]の二人の王を補佐した後、湯王の孫・[[太甲]]が即位すると、伊尹は引き続きこれを補佐する。しかし、太甲は放蕩を重ね国政を乱したので伊尹は太甲を桐(とう)に追放し、自らは摂政としてこれに代わった。3年後、太甲が悔い改めたのを確認すると、再び彼を王に迎え自らは臣下の列に復した。