「日高国」の版間の差分

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[[平安時代]]、慈覚大師[[圓仁|円仁]]が行脚し様似などで修業したと伝わる。
 
[[鎌倉時代]]以降には日ノ本と呼ばれる[[蝦夷]](えぞ)がおり、[[蝦夷管領]]はこれを統括した。
 
[[室町時代]]([[15世紀]])ころには[[和人]]が進出していたようである。
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[[江戸時代#江戸時代後期|江戸時代後期]]、日高国域は[[蝦夷地|東蝦夷地]]に属していた。国防のため[[寛政]]11年東蝦夷地は[[天領]]([[江戸幕府|幕府]]直轄領)とされたが、[[文政]]4年には一旦松前藩領に復したものの、[[安政]]2年再び天領となり[[仙台藩]]が警固を担当した。
 
*[[明治]]2年([[1869年]])8月15日に日高国7郡が制定され、79村が属した。また、同年8月から明治4年(1871年)8月まで5郡が道外の藩や士族、寺院などによって分領支配される。
*明治15年([[1882年]])2月8日、[[三県一局時代#廃使置県|廃使置県]]にともない[[札幌県]]の所管となる。