「満洲国」の版間の差分

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この国号は、[[1934年]]([[康徳]]元年)3月1日に溥儀が皇帝に即位しても変更されなかった。ただし、同日施行された組織法第1条に「満洲帝国ハ皇帝之ヲ統治ス」(『[[満州国政府公報|政府公報日譯]]』による)とあるのをはじめとして、法令や公文書では「満洲国」と「満洲帝国」が併用されるようになった。1934年(康徳元年)4月6日の外交部佈告第5号により、帝制実施後の英称は正称が「Manchoutikuo」または「The Empire of Manchou」、略称が「Manchoukuo」または「The Manchou Empire」と定められている。
 
* 満州の語源として、[[後金]]時代に[[五行思想]]に基づいて''火''である[[明]]王朝を継承する''水''王朝である[[清]]を構成する民族名として[[女真]]、[[モンゴル|蒙古]]、[[漢民族|漢族]]の統合の象徴として「さんずい」で構成される'''満洲'''が選ばれた経緯もあり、少なくとも文化的に'''満州'''を使用する場合は'''満洲'''と記載されるべきとの立場もある。
 
== 元号 ==