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==沿革==
1927年、[[南長老ミッション]]の[[神戸神学校]]と北長老ミッションが経営する大阪神学院が合併して中央神学校が誕生した。初代校長はサミュエル・フルトンであった。教授陣は[[ハリー・マイアース|マイアース]]、オストラム、チャップマンらのアメリカ人宣教師、日本人は[[溝口悦次]][[今村好太郎]][[桑田繁太郎]]、[[岡田稔]]であった。1937年に[[松尾武 (牧師)|松尾武]]が1941年に[[田中剛二]]が教授に就任した。
 
戦時下になっても、中央神学校は宮城遥拝や神社参拝に対して抵抗したが、戦争開始に伴い宣教師が帰国して、1942年3月に閉校した。岡田稔が後事を託された。岡田は中央神学校を昭和神学研究所と改組して、神学研究活動を続けた。[[日本基督教団]]敵産管理委員会は1942年、強制的に中央神学校の土地校舎を取り上げた<ref>『岡田稔著作集』いのちのことば社 </ref>。