「契丹文字」の版間の差分

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| type = 未解読
| time = [[920年]]頃-[[12世紀]]頃
| languages = [[{{仮リンク|契丹語]]|en|Khitan language}}
| creator = [[耶律阿保機]]
| unicode = 割り当てなし
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== 契丹大字と契丹小字 ==
===契丹大字===
{{main|契丹大字|:en:Khitan large script}}
 
[[神冊]]5年([[920年]])1月から耶律阿保機が創案を開始し、同年9月に完成、公布したとされる<ref>『[[遼史]]』本紀第二 太祖上「(神冊)五年春正月乙丑,始制契丹大字。…九月…壬寅,大字成,詔頒行之。」</ref>。契丹大字は[[漢字]]を参考・借用して作った表意文字であり、これまでに異体字を含めて1600-1700字程度が知られているが、そのうち、読み方が推定されているのは188字しかない<ref name="asahi111028">[http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201110270348.html 謎の契丹文字 刻む石碑 日本・モンゴル合同隊が新発見(2011年10月28日,asahi.com)]</ref>。
 
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===契丹小字===
{{main|契丹小字|:en:Khitan small script}}
 
耶律阿保機の弟である[[耶律迭剌]]が、多音節言語である契丹語の表記には不便だった契丹大字に代わり、[[天山ウイグル王国|ウイグル]]の使者から学んだ[[ウイグル文字]]の表記を参考にして創作したとされる<ref>『遼史』表第二 皇子表「回鶻使至,無能通其語者,太后謂太祖曰“迭剌聰敏可使。”遣{{JIS2004フォント|迓}}之。相從二旬,能習其言與書,因制契丹小字,數少而該貫。」</ref>。公布された年代ははっきりしていないが、[[924年]]([[天賛]]3年)頃ではないかと考えられている。[[1125年]]に遼が滅亡すると次第に廃れていくが、[[金_(王朝)|金]]が[[1191年]](明昌2年)に契丹文字使用禁止の法令を出しており、この頃まではまだ一部で使用されていたと思われる。