「北村龍平」の版間の差分

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== 来歴 ==
大阪の高校中退後、17歳でオーストラリアへ渡り、スクール・ オブ・ビジュアル・アーツ映画科に入学。卒業制作の短編映画『EXIT -イグジット-』が高い評価を受け、年間最優秀監督賞を受賞する。帰国後映画以外の職に就きながら1995年に映像集団ナパームフィルムズを結成、[[自主制作映画]]『DOWN TO HELL』が第1回[[インディーズムービー・フェスティバル]]でグランプリを受賞し、[[渡部篤郎]]主演で『ヒート・アフター・ダーク』を製作し監督デビューする。その後インディーズムービー・フェスティバルのスカラシップ作品として監督した『[[VERSUS (映画)|VERSUS -ヴァーサス-]]』で名を知られるようになる。その後『[[あずみ (映画)|あずみ]]』『[[ゴジラ FINAL WARS]]』などの作を監督する。そのビッグマウスと豪胆な風貌から国内の評価は分かれるが、海外での評価は高く『VERSUS -ヴァーサス-』はかの[[ジャン=リュック・ゴダール]]も『アワーミュージック』(2004年)に引用したと述べている。『VERSUS -ヴァーサス-』でローマ国際ファンタスティック映画祭監督賞、『荒神』でブリュッセル国際ファンタスティック映画祭監督賞、『あずみ』でフィラデルフィア国際映画祭観客賞を受賞
 
== 評価・批評・興行価値 ==
* 北村作品は『あずみ』『ゴジラ FINAL WARS』など歴代の人気漫画・シリーズを手がける際、国内のファンから批判されるものも少なからず存在しており、「どこかで見たようなビジュアル」「本人のビッグマウスに作品の評価がついて行っていない」などの手厳しい評価を下される事も多い。
* ストーリーと上映時間が合致しないのも、北村評では定番の見解。アクションだけの映画で2時間以上であるとか、無意味に長い上映時間も北村作品の興行価値を落としている要因と云われている。初期作品で上映時間を巡って映像編集の[[掛須秀一]]ともかなりの確執があったと、自身もDVDコメンタリで述べている。
* 北村の作品『あずみ』(8億円)『ゴジラ FINAL WARS』(12.6億円)の2本が自身、最高興収部類に入るが、両作共、(主にコアなファンから)賛否両論、それ以上に否定的な意見も多く、特にゴジラにおいては最終作にもかかわらず従来のゴジラ映画の「お約束事」を次々と破ったため、「ゴジラを殺した男」と云う辛辣な意見もある。
* 『VERSUS -ヴァーサス-』の国際映画祭での上映で、一気に北村人気に火がつく。特にホラーとアクションをブレンドした作りは、一見チープに見えるも、そのチープさを覆い隠す勢いが北村作品にある。しかしこの手の展開が毎度続き、観客を飽きさせているのも事実である。
 
== 北村とハリウッド ==
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* フランス映画界の巨匠[[ジャン=リュック・ゴダール]]の監督作品『アワーミュージック』で北村の『VERSUS -ヴァーサス-』の事が触れられている。
* アメリカでの代理人はCAA([[クリエイティヴ・アーティスツ・エージェンシー]])。[[ウォン・カーウァイ]]や[[アン・リー]]、[[デヴィッド・フィンチャー]]、[[菊地凛子]]、[[紀里谷和明]]等もCAAに代理されている。
* デビュー前に『フレディVSジェイソン』という映画の絵コンテを作っていた。奇しくもまったく同じ企画の『[[フレディVSジェイソン]]』が公開されたが、北村はその映画を「良かった」と評価した。
 
== 主な監督作品 ==
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* [[ミッドナイト・ミートトレイン]](2008年)
* [[BATON]](2009年) - CGアニメ作品
* [[ノー・ワン・リヴズ]] ''No One Lives''(2012(2013年)
 
=== テレビドラマ ===