「広瀬久忠」の版間の差分

[[太平洋戦争]]末期の[[1944年]](昭和19年)、[[小磯内閣]]で厚生大臣、翌[[1945年]](昭和20年)2月に[[国務大臣]]兼[[内閣書記官長]]に転任する。終戦直後、[[東京都知事一覧|東京都長官]]兼[[地方総監府#地方総監|関東信越地方総監]]に就任したが、[[1946年]](昭和21年)に[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]による[[公職追放]]処分を受けた。
 
追放解除後の[[1953年]](昭和28年)には、[[第3回参議院議員通常選挙]]に[[山梨県選挙区]]から無所属で立候補して当選、政界に復帰した。その後[[緑風会]]を経て[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]へ移り、[[1959年]](昭和34年)の[[第5回参議院議員通常選挙]]では落選したが、[[1965年]](昭和40年)の[[第7回参議院議員通常選挙]]で当選した。
 
日本国憲法下では[[改憲]]を熱心に主張し、[[新憲法制定議員同盟|自主憲法期成議員同盟]]の初代会長に就任。また天皇の「首位」化、軍の創設、参議院の機能強化、[[基本的人権]]の限界規定などを主な特徴とする「広瀬試案」を発表した。
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