「重戦車」の版間の差分

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フランスとソ連は、いずれも[[ドイツ国防軍|ドイツ軍]]の[[電撃戦]]で国土を席巻された。その防衛戦で、戦間期型の重戦車は攻撃力不足の欠点をさらけだした。搭載砲の射程距離が短かった大戦初期には、機動力の差が決定的であった。個々ばらばらに戦場に登場した重戦車は、軽快なドイツ戦車に超接近戦にもちこまれ、不利な相対位置で撃たれることになった。また、[[北アフリカ戦線]]の開けた砂漠では、イギリスの歩兵戦車は対戦車砲に有効な榴弾砲を持たないために、自車の射程範囲外からドイツの[[8.8 cm FlaK 18/36/37|88mm高射砲]]に撃破された。
 
しかし1941年の[[独ソ戦]]初期には重戦車が威力を発揮した。ソ連の[[KV-1]]重戦車は、当時としては常識外れの厚い装甲でドイツ軍の戦車と[[対戦車砲]]の攻撃を弾き、怪物と呼ばれた。もっとも、低速で故障が多かったため、激しく動く戦線から取り残されて個別に撃破されたり放棄されたりすることが多かった。この戦車と[[T-34]][[中戦車]]は1941年当時ごく少数しかなかったが、ドイツ軍の標準的な対戦車用の装備では歯が立たず、戦場に投入されるたびに、一時的であってもドイツ軍の進撃を食い止め、鈍らせる働きをした。それに比べると、軽装甲の双方の軽戦車は数が多少あっても簡単に撃破された。
 
この経験から独ソ両軍は、軽戦車の生産開発を縮小し、バランスのとれた戦車の産と並行して、少数の重戦車の生産に取り組んだ。大戦中期に登場したドイツ軍の[[VI号戦車]]([[ティーガーI]])は、ドイツ装甲部隊の攻防の正面に立って活躍した。対抗したソ連軍は[[IS-2]]重戦車を投入した。ついでドイツ軍が VI号B型戦車([[ティーガーII]])を投入し、ソ連軍がIS-3重戦車を開発したところで戦争は終わった。ドイツでは[[マウス (戦車)|マウス]]や[[E-100]]などの超重戦車も計画・開発されていたが、重量や信頼性の点でおよそ実戦運用に耐えられる様な代物では無かった。
 
[[東部戦線]]で戦車が巨大進化を遂げる一方で、[[西部戦線 (第二次世界大戦)|西部戦線]]では航空機が戦場を支配した。ドイツ重戦車が目覚しい戦果を挙げた場面もあったが、いかなる戦車も航空攻撃には無力であった。[[アメリカ陸軍]]と[[イギリス陸軍]]は、ドイツ重戦車に対抗できる戦車の開発に取り組んだが、その産物が実戦に登場した頃には敵にすべきドイツ戦車がほとんどなくなっていた。