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[[File:Lyndon Johnson meeting with civil rights leaders.jpg|thumb|right|200px|[[ホワイトハウス]]にてキング牧師などの公民権運動のリーダーと話す[[リンドン・ジョンソン]]大統領]]
[[File:Lyndon_Johnson_signing_Civil_Rights_Act,_July_2,_1964.jpg|thumb|right|200px|公民権法に署名するジョンソン大統領。後列中央はキング牧師]]
[[1960年]]に発足した民主党の[[ジョン・F・ケネディ]]政権は、閣僚他スタッフに有色人種がいない事を批判されながらも公民権運動には比較的リベラルな対応を見せ、南部諸州の人種隔離各法、いわゆる「[[ジム・クロウ法]]」を禁止する法案を次々に成立させた。しかしケネディは1963年11月に[[ダラス]]で凶弾に倒れ([[ケネディ大統領暗殺事件]])、[[リンドン・ジョンソン]]副大統領がその後を継ぐこととなった。
 
1963年11月に大統領に就任したジョンソン大統領は南部の[[テキサス州]]を地盤に持つ「保守派」として知られたものの、大統領就任以前から人種差別に対して否定的であり、公民権運動に強い理解を示し公民権法の制定に積極的であった。実際にジョンソンは1963年11月に大統領に就任すると、これまでの上院議員としての長い政治生活、特に[[院内総務 (アメリカ)|院内総務]]として培われて来た議会への影響力を最大限に働かせ、公民権法の成立に向けてキング牧師などの公民権運動の指導者らと協議を重ねる傍ら、保守(「人種差別主義」という意味での)議員の反対に対して粘り強く議会懐柔策を進めた<ref>[[ウォルター・クロンカイト]]著、浅野輔訳「クロンカイトの世界」(TBSブリタニカ 1999年)</ref>。
 
ジョンソン大統領による精力的な働きかけの結果、世論の高まりもあり議会も全面的に[[公民権法]]の制定に向け動き、[[1964年]][[7月2日]]に公民権法(Civil Rights Act)が制定され、ここに長年アメリカで続いてきた法の上での人種差別は終わりを告げることになった。
 
公民権運動に対する多大な貢献が評価され、「アメリカ合衆国における人種偏見を終わらせるための非暴力抵抗運動」を理由に、キング牧師に対し1964年度の[[ノーベル平和賞]]が授与されることになった(受賞は[[12月10日]])。これは史上最年少の受賞であり、黒人としては3人目の受賞である。キング牧師は「受賞は全てのアフリカ系アメリカ人のものだ」とコメントした。また[[2013年]]には、[[1963年]]9月に[[アラバマ州]][[バーミングハム (アラバマ州)|バーミングハム]]で起きた[[クー・クラックス・クラン]]の教会爆破により犠牲になった黒人の少女4人に、[[議会名誉黄金勲章]]が追贈される事が決まった。事件の経緯は[[スパイク・リー]]が「フォー・リトル・ガールズ」で映画化している。
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