「平教経」の版間の差分

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三十人力で知られた[[土佐国]]住人[[安芸実光|安芸太郎]]と[[安芸次郎|次郎]]の兄弟、そして同じく大力の郎党が、生捕って手柄にしようと三人で組みかかった。教経は郎党を海へ蹴り落とすと、安芸兄弟を左右の脇に抱えて締め付け「貴様ら、死出の山の供をせよ」と言うや、兄弟を抱えたまま海に飛び込んだ。享年26。
 
=== 生存説 ===
以上は平家物語に記された教経の最期であるが、[[徳島県]]祖谷地方の伝説では教経は壇ノ浦で死なず、祖谷に落ち延びてその地で没したといわれている。以下に徳島県・[[高知県]]で信じられ、郷土史にも登場するその後の教経について略述する。