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==略歴==
===学歴===
*[[1925年]] - [[東京大学|東京帝国大学]][[理学部]]動物学科卒業
*[[1933年]]: - 京都大学 [[理学博士]] 「Studies on the bottom fauna of Japanese lakes(日本湖沼の底棲生物の研究)」<ref>博士論文書誌データベース</ref>
 
===職歴===
*1925年 - 京都帝国大学理学部[[講師 (教育)|講師]](大津臨湖実験所 1991年、生態学研究センターに改組)
*[[1936年]]3月 - 京都帝国大学理学部助教授(瀬戸臨海実験所)
*[[1942年]]4月 - 同教授(動物学教室)
*[[1961年]]4月 - 理学部長(1963年4月まで)
*[[1964年]]1月 - 定年退官、名誉教授
*[[1964年]](昭和39年):) - [[日本モンキーセンター]]所長就任
*[[1976年]](昭和51年):) - 日本モンキーセンター退職
====学内における役職====
*京都大学評議員(1945年9月より1947年9月まで)
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==学者としての功労==
'''; 学術上の功績''':
: 主に、湖沼、河川など淡水に棲息する水棲生物の生物相の解明から、底生生物群集の研究、[[生物指標]]を用いて湖沼型の分類を日本で行った。
 
'''; 後進の育成''':
: 第二次世界大戦後は生理生態学講座の教授として、後進の研究体制を支援する体制を確立し、多くの研究者を育てた。たとえば[[今西錦司]]を中心とした[[伊谷純一郎]]などによるニホンザルの研究、およびそれを含む哺乳類社会の研究なども彼の元でおこなわれたもので、[[日本モンキーセンター]]の設立に大きな力になった。
 
==主な研究==
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==受章歴・叙勲歴==
*[[毎日出版文化賞]]([[1960年]])  受賞作『アユの話』
*[[朝日賞]]([[1968年度]])
*[[紫綬褒章]](1968年)
*[[勲等|勲二等]][[瑞宝章]]([[1971年]])
*[[中日文化賞]](第24回、[[1971年]])  受賞理由「霊長類研究と普及活動」<ref>{{Cite web|url=http://www.chunichi.co.jp/info/award/culture/page03.html|title=中日文化賞:第21回-第30回受賞者|publisher=中日新聞|accessdate=2009-10-31}}</ref>
*[[従三位]]([[1988年]])