「本願寺の歴史」の版間の差分

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[[天文 (元号)|天文]]元年(1532年)、証如は[[細川晴元]]の要請を受け、近畿の門徒2万人を動員して[[畠山氏]]を破る([[飯盛山城#飯盛城の戦い|飯盛城の戦い]])。
 
同年8月、山科本願寺は、京都の[[日蓮宗]]徒と近江の[[六角定頼]]の連合軍の焼き討ちによって、焼失する([[法華一揆]])。寺基を大坂石山の「大坂御坊」へ移し、'''[[石山本願寺|「大坂本願寺」(「石山本願寺」)]]'''と号する。「大坂御坊」は、蓮如の隠居所として建立された小規模な坊舎であったが、この頃には拡大されていて、寺内町も形成されていた。
 
天文10年(1541年)、朝倉氏との間で和談。