「パリの解放」の版間の差分

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=== 解放のパレード ===
[[File:American troops march down the Champs Elysees crop.jpg|thumb|250px|8月29日にパレードを行うアメリカ第28歩兵師団]]
ド・ゴールは降伏が成立した後の午後4時半頃に陸軍省に移り、[[オテル・ド・ヴィル]]([[:fren:Hôtel de ville de Paris|Hôtel de ville]]、パリ市庁舎)で臨時政府の帰還と解放を伝える演説を行った後に、翌日の凱旋パレードを計画した。さらに米英軍に対して兵士の参加要請を出した上に、パレード終了後は第2機甲師団を連合軍の編成から外すと通告してきた。第5軍団のジロー少将は激怒し、第12軍集団司令部からパレード参加の禁止と前線への前進命令を受け取ってルクレール少将に下命した。しかしルクレールは「政府の元首」であるド・ゴールの方針に従うと伝え、ド・ゴールもパレード実施を強行した。
 
[[8月26日]]には[[シャンゼリゼ通り]]で第2機甲師団を中心とするパレードが行われた。しかし市内になおドイツ軍の狙撃兵が残っており、時折銃弾が飛来して市民が慌てて地面に伏せことような事態あっ発生した。
 
[[8月29日|29日]]には、[[第28歩兵師団 (アメリカ軍)|米第28歩兵師団]]によるパレードが行われた。この時には都市は既に安全な状態となっていた。アメリカ軍と[[自由フランス軍]]の車両がパリの道路を進むと、喜びに満ちた群集が彼らを歓迎した。以後、毎年8月25日にはパリ解放を記念する式典が開かれる。[[2004年]]の60周年記念式典では、オテル・ド・ヴィルの外で音楽に合わせて道で踊る人々の間を、当時のフランス軍とアメリカ軍を表す2種類の装甲車両による軍事パレードが行なわれた。
 
== 参考文献 ==