「ゲオルギー・マルコフ」の版間の差分

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[[1978年]]9月7日に[[ロンドン]]のウォータールー・ブリッジを渡っていたマルコフは、通りすがりの何者かに[[傘]]で突かれた。この際、実際には傘に偽装した[[空気銃]]によって右大腿部に弾丸を打ち込まれていた<ref name=ColinEvans416>コリン・エヴァンス:著/藤田真利子:訳 『不完全犯罪ファイル 科学が解いた100の難事件』 明石書店、2000年、416頁</ref>。傷の周りは炎症し、[[心拍数]]と血中の[[白血球]]の数は増大し、[[敗血症]]と診断される症状を起こし、ついに衰弱死した<ref name=ColinEvans417>コリン・エヴァンス 前掲書417頁</ref>。
 
イギリス当局の調査によれば、マルコフは[[毒#利用|毒殺]]されたものと断定された<ref name=ColinEvans417>コリン・エヴァンス 前掲書417頁</ref>。彼の傷口の組織から直径1.5mmほどの弾丸が発見され<ref name=ColinEvans417>コリン・エヴァンス 前掲書417頁</ref>、症状から弾丸のなかに[[トウゴマ|ヒマ]]の種子から取れる[[リシン (毒物)|リシン]]が仕込まれていたという<ref name=ColinEvans418>コリン・エヴァンス 前掲書418頁</ref>。またイギリス当局は前年にパリの地下鉄でブルガリア人亡命者のウラジミール・コストフの体内(彼は奇跡的に助かった<ref name=ColinEvans419>コリン・エヴァンス 前掲書419頁</ref>)から発見された弾丸と、マルコフに打ち込まれた弾丸が一致したことから<ref name=ColinEvans418>コリン・エヴァンス 前掲書418頁</ref>、[[ブルガリア内務省]]の関与を示唆する証拠とされた<ref name=ColinEvans418>コリン・エヴァンス 前掲書418頁</ref>。しかしながら実行犯は明らかにはなっていない<ref name=ColinEvans419>コリン・エヴァンス 前掲書419頁</ref>。
 
== 著書 ==
 
 
== 脚注 ==