「クフナ・ウルゲンチ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m ボット: 言語間リンク 32 件をウィキデータ上の (d:Q48472 に転記)
編集の要約なし
21行目:
かつて、クフナ・ウルゲンチは、[[アムダリヤ川]]沿岸にあり、[[シルクロード]]における最大の都市であった。クフナ・ウルゲンチの始まりは、はっきりとしていないが、Kyrkmollaの要塞は、[[ハカーマニシュ朝]]にまで遡る。
 
[[12世紀]]から[[13世紀]]初頭にかけてがクフナ・ウルゲンチの黄金時代であった。中央アジアで、クフナ・ウルゲンチをしのぐ人口を誇った都市は[[ブハラ]]を除いて他になかった。しかし、[[1221年]]、[[チンギス・カン|チンギス・ハン]]が中央アジアへの進出を開始して、人類史に類を見ない大虐殺を展開した([[チンギス・カンの西征]]、[[:en:Mongol invasion of Khwarezmia and Eastern Iran]])
 
クフナ・ウルゲンチは、チンギスによる虐殺の後に復興を見せることとなるが、1370年代には、アムダリヤ川の流れが北に変わったことにより、自然による都市の破壊が始まった。1370年代には、クフナ・ウルゲンチは放棄され、北には新ウルゲンチと呼ばれる都市が新たに建設されることとなった。時代は既に[[ティムール朝]]の時代へと変わっていた。