「熊本ラーメン」の版間の差分

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脚注など
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ルーツである[[久留米ラーメン]]・[[玉名ラーメン]]との最大の違いは、スープを当日に使い切り、継ぎ足しが無い点にあるという。これによりいわゆる「トンコツ臭」を抑えている。
 
[[麺]]は低加水の中太ストレート麺を使い、やや堅めに茹で上げる<ref name=okuyama8687>奥山(2003):86-87ページ</ref>。やや堅めに茹で上げる、他県から来て初めて食べた者は生煮えではないかと思うほど麺のコシが強い。また、博多ラーメンのような[[替え玉]]のシステムは基本的にない。
 
具材には台湾風に味付けされた(人類学)<ref name="okuyama8687"/>煮玉子やキクラゲ<ref name=osaki214>大崎(2011):214ページ</ref>、チャーシュー、メンマ、刻み小ネギ、モヤシ、海苔等が用いられる、中には豚肉の角煮、キャベツ、高菜等が入るものもあるが[[紅生姜]]や生[[ニンニク]]は入らない。熊本ラーメンに紅生姜がつかないのは、豚骨の臭みや油っぽさを抑えるため工夫・改良された調理法によるという。
 
== 歴史 ==
熊本ラーメンは、3人の男たちの友情から生まれたラーメンであるといえる。戦時中のこと、[[台湾]]出身の留学生劉壇祥(のちの重光孝治)は[[宮崎県立宮崎工業高等学校|宮崎工業高等学校]]に通っていたが、戦況の悪化により実家からの仕送りが途絶えていた。そんな劉に救いの手を差し伸べたのが木村一である。木村は劉を自宅に迎え、家族同然に遇した。劉はその後熊本大学に進学し、卒業後は甘味料の製造で財を成したのち、木村や山中安敏とともに不動産業を始める<ref name="okuyama8687"/>。
 
しかし、彼らに思いもよらない転機が訪れることになる。昭和26年([[1953年]])に北部九州を襲った豪雨によって不動産業は頓挫。新たなビジネスを探していた3人はふとしたことから玉名のラーメン店「三九」([[久留米市]]で白濁豚骨スープを課発した「三九」の支店<ref name="okuyama8687"/>)に関心を持ち、3人はラーメン店を始めることとなった。