「アンティキティラ島の機械」の版間の差分

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== 使用目的に関する推測 ==
設計者は天体の位置を計算するために天体運行の理論まで知っている必要はなかった。[[バビロン]]の天体計算式「{{仮リンク|システムB|en|Babylonian astronomy#Influence on Hipparchus and Ptolemy}}<ref>{{仮リンク|システムB|en|Babylonian astronomy#Influence on Hipparchus and Ptolemy}}はカルデア人の天文学者[:en:Kidinnu|Kidinnu]](? - [[紀元前260330まで]][[8月14日]])は(早ければよる理論。</ref>が紀元前500260までには考案され、ギリシャに受け継がれていたのである。当時ごく少数の、太陽と月とその他の天体の運行の基礎が理解できる教育されたエリートと、教養のない庶民との間には科学と文化において大きな隔たりがあった。
 
[[マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]]、[[ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|プリニウス]]、[[プラトン]]、[[ルキウス・アンナエウス・セネカ|小セネカ]]、[[クラウディオス・プトレマイオス|プトレマイオス]]、[[アリストテレス]]などによる多くの古代資料によると庶民は[[日食]]、[[月食]]を[[超常現象|超自然現象]]と見なしており、恐れていたとされる。「…無教養な者はたやすくそれら(日食など)を混乱や凶事の前触れと考えた」<ref>{{cite web