「ミッドウェー海戦」の版間の差分

== 日本の作戦決定の背景 ==
=== 山本の作戦思想 ===
太平洋戦争開戦前、日本海軍は、対米作戦における基本的な方針として[[守勢]][[邀撃]]作戦を採っていた<ref>[[#亀井戦記]]72頁</ref>。[[連合艦隊]]司令長官であった[[山本五十六]][[大将]]は以前よりこの方針に疑問を持ち、独自の対米作戦構想として積極的な攻勢作戦を考えていた<ref>[[#亀井戦記]]73頁</ref>。大島一太郎[[大尉]](後に[[大佐]]、[[1928年]](昭和3年)[[海軍水雷学校]]高等科学生)の戦後の回想によれば、[[1928年]](昭和3年)に海軍水雷学校で「対米作戦はハワイを攻略するような積極作戦を採るべきである」と述べている。これは、まず国力から見て圧倒的な劣勢にある日本が守勢を採っても、時期・方面などを自主的に決めて優勢な戦力で攻撃する米国に勝ち目がなく、また短期戦に持ち込むためには、早期に敵の弱点を叩くことで相手国の戦意を喪失させる方法しか勝機を見出しえないと判断したためと言われている。さらに山本は太平洋戦争開戦前より、敵の空母部隊が日本を航空攻撃した場合、国内へ物質的な打撃だけでなく精神的な打撃が大きいと考えていた点も関係している<ref>[[#海軍驕り]]132-133頁。1941年1月に及川に提出した意見書より。</ref>。及川海軍大臣宛の書簡、黒島参謀の回想によると、山本のミッドウェー作戦の第一の狙いが米海軍・米国民の士気を喪失させることであったこと、また本土空襲の精神的な打撃を大きいと認めている点が分かる。すなわち相当の危険性を承知の上でも、米国に対し、戦争で勝利を収めるためには、積極的な攻勢を進めるしかないと考えていた<ref>[[#勝つ戦略負ける戦略]]97頁</ref>。
 
=== ハワイ攻略作戦の着想 ===
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