「飛鷹 (空母)」の版間の差分

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[[1943年]](昭和18年)三宅島沖合で、米潜水艦「[[トリガー (SS-237)]]」の雷撃を受け3発の魚雷が命中するも、内1発が不発だったため沈没に至らなかった。横井大佐が艦長に着任後、艦内調度品、木製品一切、木甲板に至るまで撤去している<ref>[[#飛鷹副長]]p.158</ref>。[[1944年]](昭和19年)6月13日、タウイタウイ泊地を出港し、空母「[[隼鷹 (空母)|隼鷹]]」、「[[龍鳳 (空母)|龍鳳]]」、戦艦「[[長門 (戦艦)|長門]]」と共にマリアナ沖へ進出する<ref>[[#飛鷹副長]]p.182</ref>。19日、[[マリアナ沖海戦]]に参加し、空母「[[大鳳 (空母)|大鳳]]」の沈没を10浬離れた地点から目撃した<ref>[[#飛鷹副長]]p.197</ref>。本艦が収容した航空機は、沈没した空母「[[翔鶴 (空母)|翔鶴]]」の3機、本艦所属2機、計5機程度だった<ref>[[#飛鷹副長]]p.198</ref>。
 
6月20日、小沢機動部隊は米軍機動部隊から襲撃を受ける。米空母「[[レキシントン (CV-16)]]」の[[艦機]]による攻撃を受け、まず魚雷1本が右舷後部機械室付近に命中した。機関科兵は全員脱出したが、連動して左舷の機械も止まって航行不能となる<ref name="飛鷹副長221">[[#飛鷹副長]]p.221</ref>。同時に、注排水指揮所が有毒ガスで全滅した<ref name="飛鷹副長221"/>。続いて爆弾が艦橋後部マストに命中し、断片で航海長を含む見張所・飛行指揮所の艦橋要員に多数の死傷者が出る<ref name="飛鷹副長222">[[#飛鷹副長]]p.222</ref>。空襲が終わったため戦艦「長門」に曳航準備をさせていたところ<ref>[[#飛鷹副長]]p.204</ref>、突然前後のエレベーターが煙突の高さ以上に飛び上がり、また元の孔に落ちて傾斜が復元した<ref>[[#飛鷹副長]]p.205</ref>。砲術長は、米潜水艦が発射した魚雷が後部ガソリンタンク付近に命中したと証言している<ref>[[#飛鷹副長]]p.225</ref>。この後「火災全て鎮火」の報告もあるなど副長は消火に希望をもっていたが、消火ポンプの故障により艦を救うことを諦めている<ref>[[#飛鷹副長]]p.206</ref>。夕日に照らされる中で[[軍艦旗]]がおろされ<ref>[[#飛鷹副長]]p.209</ref>、整然と退艦がおこなわれた<ref>[[#飛鷹副長]]p.210</ref>。やがて「飛鷹」は左舷に傾斜すると、艦尾から沈没した<ref>[[#飛鷹副長]]p.212</ref>。乗組員は駆逐艦「[[満潮 (駆逐艦)|満潮]]」等に救助された。
 
==歴史==
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