「クレメンス・クラウス」の版間の差分

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クラウスのレパートリーは非常に広範であるが、主に次の3つに大別することができる。すなわち[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]、[[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン|ハイドン]]などの[[ウィーン古典派]]、彼と縁の深い[[リヒャルト・シュトラウス]]、そして[[アルバン・ベルク|ベルク]]、[[アルノルト・シェーンベルク|シェーンベルク]]、[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]、[[アルチュール・オネゲル|オネゲル]]、[[モーリス・ラヴェル|ラヴェル]]、[[セルゲイ・プロコフィエフ|プロコフィエフ]]といった近現代の作曲家による音楽である。
 
特にクラウスとリヒャルト・シュトラウスは非常に緊密な関係を保ち、作曲者から「[[アラベラ (オペラ)|アラベラ]]」「[[平和の日]]」「[[ダナエの愛]]」などの初演を任され、シュトラウス最後のオペラである「[[カプリッチョ (オペラ)|カプリッチョ]]」の[[リブレット (音楽)|リブレット]]はクラウスによって書かれ、初演も彼の手に委ねられた。なお、クラウスの妻[[ヴィオリカ・ウルレアク]]は「アラベラ」の初演でタイトルロールを歌うなど、夫婦揃ってシュトラウス後期の舞台作品を支えたと言ってよい。また、戦前から近現代の作曲家の紹介に非常に積極的だったが、ウィーン国立歌劇場監督時代にベルクの「[[ヴォツェック]]」などの意欲的なレパートリーが保守的な聴衆に歓迎されず、彼の任期を縮めさせる要因になった。ベルリンを拠点に活動していた晩年の[[フランツ・レハール|レハール]]に初のウィーン国立歌劇場初演作品「[[ジュディッタ]]」(最後の作品となった)を依嘱したこともある。オペラという名目になっているが、ミュージカルに近いオペレッタであり、原則オペレッタを上演しない(「[[メリー・ウィドウ]]」ですら1990年代まで取り上げなかった)同劇場としては異例であった。
 
== レコード録音 ==