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'''田山 力哉'''(たやま りきや、[[1930年]][[6月1日]] - [[1997年]][[3月23日]])は、[[日本]]の[[映画評論家]]である。[[兵庫県]][[神戸市]]出身。[[早稲田大学]]第一政治経済学部経済学科卒業
 
== 経歴 ==
兵庫県[[神戸市]]出身。[[早稲田大学]]第一政治経済学部経済学科卒業後、[[日新火災海上保険]]を経て、[[1961年]]に[[日本放送協会]]に入局し、国際局に勤務した。並行して、映画雑誌の『[[キネマ旬報]]』『[[映画評論]]』には1950年代初めから読者投稿を繰り返し常連採用者となっていた。やがて、読者から常連執筆者となり、[[1969年]]にNHKを退局。以後、フリーランスの立場で映画評論や[[フランス語]]翻訳などの執筆活動を行い、毒舌の辛口映画評論家として知られた。特に[[フランス映画]]に強く、[[1972年]]以降フランスの[[カンヌ国際映画祭]]には繰り返し出席してレポート記事を執筆した。評論活動では、『キネマ旬報』誌を中心に活動し、連載コラム「シネマ・ア・ラ・モード」は2度に渡って同誌の読者賞を受賞した。
 
一方、評論活動以外には、映画・テレビドラマでの[[カメオ出演]]を積極的に行い、映画関係者を描く[[小説]]を執筆した。