「クラス (集合論)」の版間の差分

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[[集合論]]及びその応用としての[[数学]]における'''クラス'''または'''類'''(るい、{{lang-en-short|''class''}})は、[[集合]](または、しばしば別の数学的対象)の集まりで、それに属する全ての[[元 (数学)|元]]が共通にもつ性質によって紛れなく定義されるものである。「クラス」の正確な定義は、議論の基礎となる文脈に依存する。例えば、[[公理的集合論|ツエルメロ=フレンケル集合論]] (ZF) ではクラスは厳密には存在しないが、他の集合論(たとえば、[[ノイマン=ベルナイス=ゲーデル集合論]] (NBG))では、「クラス」の概念は公理化されている(NBG の例だと、別の量 (entity) の要素にならないような量としてクラスが定義される)。
 
(どのような定式化を選んだとしても)「全ての集合の集まり」はクラスである。(ZF では厳密な言い方ではないが)このクラスだが集合でないようなものは'''真のクラス''' (proper class) と呼ばれ、集合となるようなクラス(つまり集合)は'''小さいクラス''' (small class) とも呼ばれる。例えば、全ての順序数からなるクラスや全ての集合からなるクラスは、多くの形式体系において真のクラスである。
== パラドックス ==
 
[[ラッセルのパラドックス]]などの素朴集合論のパラドックス]]は「全てのクラスが集合である」という正しくない仮定によって説明される。厳格な基礎付けの下では、これらはパラドックスなのではなくて、ある種のクラスが真クラスであることの[[証明]]を示唆するものであると捉えることができる。例えば[[ラッセルのパラドックス]]は「自分自身に属する集合」全体が真のクラスになることを示唆するし、[[ブラリ=フォルティのパラドックス]]は全ての順序数からなるクラスが真のクラスであることを示唆している。
 
== 公理的集合論におけるクラス ==
ZFではクラスの概念を定式化することはできないので、クラスは[[メタ言語]]による同値な言明で置き換えることで扱うことになる。例えば、<math>\mathcal A</math> をZFを解釈する[[構造 (数理論理学)|構造]]として、メタ言語での表現 <math>\{x\mid x=x \} </math> の <math>\mathcal A</math> における解釈は、<math>\mathcal A</math> の[[議論領域]]に属する要素全ての集まり(つまり、<math>\mathcal A</math> における集合すべての集まり)である。ゆえに、「全ての集合の成すクラス」を述語 ''x = x''と(あるいはそれに同値な述語と)同一視することができる。
 
ZF集合論ではクラスを厳密に扱うことができないので、ZF の公理系をそのままクラスに関する言明に適用することはできない。しかし、[[到達不能基数]] κ の存在を仮定すれば「それよりランクの小さな集合全体」は ZF のモデル([[グロタンディーク宇宙]])になり、その部分集合を「クラス」として考えることができる。
 
別な方法として、[[ノイマン-ベルナイス-ゲーデルの公理系]] (NBG) を例に挙げよう。この理論ではクラスは基本的な対象であり、集合は別のクラスの要素であるクラスとして定義される。しかしながら、NBGにおける集合の存在公理は、クラスの上を亘るのではなく、集合の上を亘る量化のみに制限されている。これにより、NBG は ZF の[[保存拡大]]となる。
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