「安田南」の版間の差分

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[[1971年]]、第三回[[全日本フォークジャンボリー|中津川フォークジャンボリー]]のメインステージの安田南のライヴは、暴徒のため演奏中にステージを占拠されてぶち壊しになり、フォークジャンボリーは二度と開催されなくなった。
 
歌手活動以外でも、[[劇団黒テント|黒テント]]を中心とした舞台出演・ラジオのDJ・エッセイの執筆などにマルチな才能を発揮した。[[西岡恭蔵]]の「[[プカプカ]]」(みなみの不演不唱)のモデルとも言われる<ref>「劇団黒テント」のメンバーであった安田と、同劇団の大阪公演で前座を務めた西岡とは面識があった。だが、西岡の友人によると、歌のモデルは安田一人だけではないと言う。(『「あん娘」のモデルは誰 - 西岡恭蔵作詞作曲「プカプカ」』[[朝日新聞]] 2011年2月26日)</ref>。また、[[写真家]]で、アルバム『Some Feeling』のジャケットを手がけた[[中平卓馬]]とは、恋愛関係にあった<ref>『おかしな時代 - 「ワンダーランド」と黒テントへの日々』、369 - 371頁</ref>。
 
音楽プロデューサーで、東京・下北沢のジャズバー『LADY JANE』オーナーの[[大木雄高]]は、安田を「ジャズのスタンダードを日本で初めて歌いこなした歌手」と評している<ref>『「あん娘」のモデルは誰 - 西岡恭蔵作詞作曲「プカプカ」』朝日新聞 2011年2月26日</ref>。親交のあった作家の[[瀬戸内寂聴]]も、歌手としての実力・文才をともに認めていた<ref>『有縁の人』、223 - 225頁</ref>。
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*『世界ジャズ人名辞典』[[スイングジャーナル|スイングジャーナル社]]、1981年
*瀬戸内晴美『有縁の人』[[創林社]]、1979年
*[[津野海太郎]]『おかしな時代 - 「ワンダーランド」と黒テントへの日々』[[本の雑誌社]]、2008年
 
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