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1993年初演。以降、1997年・2002年・2008年と上演されている。
 
原作は1991年に成井が書いた小説『あたしの嫌いな私の声』。舞台化される際、小説とは幾つか設定が変更されている。
原作は1991年に成井が書いた小説『あたしの嫌いな私の声』。オーディションの課題(『メアリー・ポピンズ』→『ナルニア国物語』)・高杉と波田野が対立した理由(原作では高杉の傲慢な態度や雪絵に対する差別発言だったが、再演以降は高杉が親友の死の理由を追求するために雪絵から強引に話を聞こうとした為)・最初に『二つ目の声』を聞いた状況(中継映像→その場に居合わる)・高杉の生死(原作では死亡するが再演以降ではケガで留まる)・クライマックスシーンでの舞台(事務所の一室→波多野姉弟が宿泊しているホテル)など、舞台化される際に設定は大きく変更されている。
 
1993年初演は「アナザーフェイスダブルヴィジョン」として、成井である本作を[[劇団ショーマ]]の高橋いさをが演出する方を「い組」・成井が演出する高橋いさをの作品である「ウォルター・ミティにさようなら」を女優版に変更した成井が演出する「[[ジャングル・ジャンクション (舞台作品)|ジャングル・ジャンクション]]」の方を「ゆ組」とし、2本同時に別な劇場でやった。<ref>{{Cite web|url=http://www.caramelbox.com/stage/history/home.html|title=キャラメルボックス・ヒストリー|publisher=演劇集団キャラメルボックス|accessdate=2013-7-22}}</ref>
 
再演で成井が演出担当をする事になったのをキッカケにろう者についてちゃんと勉強し、[[手話]]コーディネーターである妹尾映美子に協力を依頼。その後、テレビで『[[アイ・ラヴ・ユー (映画)|アイ・ラヴ・ユー]]』の撮影風景の紹介番組に出ていた主演でろう者である[[忍足亜希子]]を見て次の雪絵役にしたいと想い、一緒に紹介番組に出ていた妹尾に紹介して貰うように手紙を書く。忍足はオファーを受け、2002年の再々演にて雪絵役を演じた。<ref>[[成井豊]]『嵐になるまで待って』論創社、2002年初版、277~280頁より引用</ref>