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'''中島 美春'''(なかじま みはる、[[1967年]][[10月1日]] - )は、[[1985年]]に[[おニャン子クラブ]]の会員番号5番としてデビューした[[日本]]の元[[アイドル]]。[[東京都]]出身。本名、市川 美春(いちかわ みはる)。旧姓、中島。愛称は、'''なかじ'''。[[1986年]]3月、おニャン子クラブを脱退卒業し、同時に芸能界も引退した。
 
しかしながら、おニャン子クラブの復活イベントにはひんぱんに顔を出し、近年その縁で[[とんねるず]]のマネージャー、[[ボブ市川]](市川謙司)と結婚した。
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* おニャン子クラブは『夕やけニャンニャン』開始と共に知名度が上がり、一員として中島も有名人となるが、さらに彼女の身辺を慌ただしくさせたのは、おニャン子クラブのデビュー曲「[[セーラー服を脱がさないで]]」のフロントボーカル4人の内の1人に抜擢されてからだ。この4人は番組外の活動でも別格の扱いを受け、他のメンバーより活動機会や露出が多くなっていた。おニャン子クラブの人気が高まるに連れ、フロントボーカル4人は、同時期にデビューした新人アイドルより高い知名度を得る。
* 顔が[[志村けん]]に似ている事を自ら進んでネタにしたり、大胆な発言や明るい性格から、おニャン子の中でも非常に高い人気を得た。
* しかしながら、当時高校3年生であった彼女は、高校卒業後[[歯科衛生士]]を目指し、その専門学校に通うため、おニャン子クラブから脱退し、芸能界から引退するという決断をする。番組スタッフらは彼女の決断を快く受け入れ、彼女のための脱退卒業記念シングルを制作する。それが現在では[[卒業式]]のシーズンの定番曲となった「'''[[じゃあね]]'''」である。この曲は当初、中島美春個人名義(=中島美春 with おニャン子クラブ)で進められたが、本人の意向によりおニャン子クラブの名義に変更(しかしフロントボーカルは中島単独)。「セーラー服を脱がさないで」、「[[およしになってねTEACHER]]」に続く第3弾シングルとして1986年2月21日に発売された。なお、自身の在籍中に「おニャン子クラブ」名義でリリースされた全てのシングルA面曲でリードボーカルをとっているのは、彼女だけである。
* 1986年3月31日、[[河合その子]](彼女は脱退卒業後はソロ活動に移行)とともに『夕やけニャンニャン』の番組内で二人の「脱退卒業式」が行われて番組を離れ、翌4月1日、[[日本武道館]]でのおニャン子クラブの全国コンサートツアー「あぶな~い課外授業」最終公演をもって芸能界から引退した。なお、これを期に番組内では脱退卒業式が恒例化することとなった。
* 引退後も公私にわたって『夕やけニャンニャン』やおニャン子クラブのメンバーとは交流があり、その後の番組内卒業式や卒業コンサートなどでも顔をのぞかせて、ファンを歓喜させた。おニャン子クラブ解散以後の復活イベントにも何度となく参加。ただ、夫が芸能人に近いポジションからか、現在は控え気味になっていることを残念がるファンが多い。
* レギュラーで在籍・出演していたのは1年間であったが、脱退卒業後にコンサート等には出演しており、河合その子同様、「本当に脱退卒業出来たのは、『夕ニャン』放映終了・解散コンサート時ではないか」とする見方もある。
 
== 人物像 ==
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新田と親友でありながら、新田と一定の距離を置いていた国生さゆりとも良好な関係を築くなど交友関係は広く、番組の共演者であるタレントからも可愛がられた。
 
夕ニャン脱退卒業式では、[[高井麻巳子]]が号泣する場面があり、親友の新田恵利や[[永田ルリ子]]とは抱き合って別れを惜しんだ。
 
脱退卒業生として参加した全国横断ファイナルコンサートでは、新田との久々の共演もあったが、その際、「なかじー」の大合唱が始まるなど現役メンバーをしのぐ人気の高さを見せた。
 
「じゃあね」は、彼女のために作られた脱退卒業ソングで、コーラスを新田、永田、[[名越美香]]、[[内海和子]]、[[福永恵規]]が勤めた。「セーラー服を脱がさないで」「真っ赤な自転車」と共におニャン子クラブの代表曲としてその後も歌い継がれた。
 
「じゃあね」はオリコンで1位を獲得している。