「スクールカースト」の版間の差分

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==スクールカーストの構造==
現代の学校空間では、クラス内にいくつかの友達同士のグループが形成され、それらの内部で活発に交流が行われるだけで人間関係が完結する現象がみられる。[[社会学者]]の[[宮台真司]]は、教室内に限らず若者の[[コミュニケーション]]空間全般で発生しているこの変容を'''島宇宙化'''と呼び、分断された各グループ(島宇宙)は優劣のつけられない横並びの状態になっており(フラット化)、異なるグループ間でのつながりが失われたと論じた<ref>宮台『制服少女たちの選択』[[講談社]]、1994年。ISBN 978-4062053549。</ref>。これについて[[教育学者]]の[[本田由紀]][[評論家]]の[[荻上チキ]]は、分断化自体は認めながらも<ref group="注">ただし本田は、[[#統計調査|後述]]するアンケート調査で「いつも一緒の友だちグループ以外の人とは、特に仲良くしたいと思わない」という質問への否定的な回答が全体の3/4を超えたことを根拠として、自身の所属するグループの外へのコミュニケーション接続の志向も残ってはいることを指摘している。荻上は、([[インターネット]]環境の普及を背景として)全体としてある程度の棲み分けが進行する一方で、個人は単一の島宇宙にとどまるのではなく複数の島宇宙に帰属して常時接続することが求められるとして、これを'''コミュニケーションの網状化'''と呼んでいる。</ref>、教室内の各グループは等価な横並び状態にあるのではなく序列化(上下関係の付与)が働いていると述べている<ref>『学校の「空気」 (若者の気分) 』41-45頁。</ref><ref>『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』 199-202頁。</ref>。この序列はスクールカーストと呼ばれ、[[精神科医]]の[[和田秀樹]]は、現代の若者は思春期頃に親から分離した人格を得て親友をつくっていくという発達プロセスを適切に踏むことができていないため、同じ価値観を持つ親友同士からなる教室内グループを形成することができず代わりにスクールカーストという階層が形成されたのだとしている<ref>『なぜ若者はトイレで「ひとりランチ」をするのか』172-173頁。</ref>。スクールカーストでは、上位層・中位層・下位層をそれぞれ「一軍・二軍・三軍」「A・B・C」などと表現する<ref name="ijime">『いじめの構造』43頁。</ref>。
 
一般的なイメージとしては、以下のようになる<ref>『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』20頁。</ref>。
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===いじめとの関係===
場の空気を読んで摩擦・衝突を回避しながらポジションをさぐりあうという教室内における生徒たちの人間関係に対する緊張感は、しばしば[[戦場]]に喩えられる<ref>「空気の戦場――あるいはハイ・コンテクストな表象=現実空間としての教室」『サブカルチャー戦争 「セカイ系」から「世界内戦」へ』348頁。</ref>。荻上は([[#キャラ的コミュニケーション|後述]]するようなキャラをコントロールしながら行うコミュニケーションの闘争を)「(終わりなき)キャラ戦争」と呼び<ref>『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』206頁。</ref>、評論家の[[宇野常寛]]も「[[ケータイ小説]]好きの女子」と「[[美少女ゲーム]]好きの男子」というように文化的トライブを異にする者同士が(場合によっては互いに軽蔑しあいながら)共存する学校教室を、[[ポストモダン]]化の進行によって複数の異なる価値観が乱立する「バトルロワイヤル状況」のミクロな意味での象徴だとしている<ref>『ゼロ年代の想像力』97頁。</ref>(詳しくは[[#スクールカーストもの|後述]])。また、[[社会学者]]の[[土井隆義]]は中学生が創作した「教室はたとえて言えば[[地雷原]]」という[[川柳]]をスクールカースト的な一触即発の環境を端的に表現したものとして紹介している<ref>『友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル』9頁。</ref>。
 
こうしたシビアなコミュニケーション環境{{#tag:ref|これらは「優しい関係」<ref>『友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル』8頁。</ref><ref>『キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像』12頁。</ref>・「マサツ回避の世代」<ref>[[千石保]]『マサツ回避の世代―若者のホンネと主張』[[PHP研究所]]、1994年。ISBN 978-4569544892。</ref>と表現されたりするもので、[[哲学者]]の[[アルトゥル・ショーペンハウアー]]の寓話である[[ヤマアラシ#哲学用語|ヤマアラシのジレンマ]]に相当するともいえる<ref>[[児美川孝一郎]]『若者とアイデンティティ』[[法政大学出版局]]、2006年、114頁。ISBN 978-4588680038。</ref>。|group="注"}}は、場合によっては[[いじめ]]を誘発して生徒を[[自殺]]に追い込むなどの深刻な事態を引き起こす背景にもなっており<ref>「空気の戦場――あるいはハイ・コンテクストな表象=現実空間としての教室」『サブカルチャー戦争 「セカイ系」から「世界内戦」へ』320-321頁。</ref>、もともと森口が著書『いじめの構造』にてスクールカーストを紹介したのは、[[教育社会学]]者の[[藤田英典]]による理念的ないじめの分類<ref group="注">いじめを「モラルの低下・混乱によるもの」「社会的偏見・差別による排除的なもの」「閉鎖的な集団内で発生するもの」「特定の個人への暴行・恐喝を反復するもの」の4つに分類した。詳細は[[いじめ#いじめの分類]]を参照。</ref>に当事者間で使用されている概念を組み合わせてリアリティを補強することが目的であった<ref>『いじめの構造』41頁。</ref>。
 
いじめは基本的にはスクールカーストが下位のものを対象として行われるが、最上位のカーストの者が最下位のカーストの者をいじめるといった落差の大きいものはあまりなく、同一カースト内か隣接するカーストの者が対象となることが多い<ref>『キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像』21頁。</ref>。生徒が形成している各グループ内部で行われるいじめについては、グループ間の移動の可能性はカースト上位ほど容易であることから<ref group="注">これは森口の著述による。[[#統計調査|後述]]する本田の統計調査によれば、一緒に行動する友人の固定性が強いことはカースト上位を得ることにプラスの影響があるとされる。</ref>、カースト下位のグループほどいじめが発生しやすい(自分がいじめの対象となりそうな兆候があっても別グループへ離脱できないため)<ref>『いじめの構造』49頁。</ref>。
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荻上は、スクールカーストによるキャラの序列化を「コミュニケーションの[[地形効果]]」として説明している。地形効果とは、[[ウォー・シミュレーションゲーム]]において戦闘キャラクター自身の属性とそれが位置している場所(地形)の属性の相性に良し悪しによって戦闘能力にプラスまたはマイナスの修正が与えられるということであるが、これと同じように現実世界のコミュニケーション空間でもどのような場にどのようなキャラの人が存在しているかによってその位置づけは変わるのであり、例えば「学校空間」という場では「根暗キャラ([[インキャラ]])な人はマイナスの修正を受ける」というような地形効果を影響を受けていると考えられる<ref>『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』214-218頁。</ref>。
 
キャラおよびスクールカーストの可変性について、森口は([[#いじめとの関係|前述]]したようにいじめの発生に付随した行動によってカーストの上昇/下降がみられることを指摘しながらも)新しい学年の始まる4月~5月頃のポジション取り(カーストの決定)が基本的には次のクラス替えまで1年間保存されるとしている<ref>『いじめの構造』44頁。</ref>。[[土井隆義]]や[[精神科医]]の[[斎藤環]]、荻上らは学校空間でのカーストの固定性が強いことや固定化がいじめへつながる危険性を持つことを認めながらも<ref>『キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像』24頁など。</ref><ref>『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』20-21頁。</ref><ref>『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』 205頁。</ref>、キャラ自体は周囲の状況に応じて切り替えられていく可変的なものであることを指摘しており<ref group="注">[[キャラ (コミュニケーション)#キャラとアイデンティティ]]を参照。</ref>、[[評論家]]の[[宇野常寛]]{{#tag:ref|[[宇野常寛]]によると、いわゆる[[場の空気|空気]]の読めない人は自己の[[アイデンティティ]]を「~である」という固定的な自己像に対する承認によって獲得しようとするが、現実には「~した」という具体的な行動によって他者からの人物像が形成されるのであり、現代社会の流動性の高いコミュニティにおいてキャラクターは自身のコミュニケーションによって書き換え可能であるという<ref>『ゼロ年代の想像力』310-315頁。</ref>。|group="注"}}や[[荻上チキ]]{{#tag:ref|荻上チキは、一般に個人が複数のキャラを持っており場面に応じてそのどれかひとつを決めてそれを演じる「キャラ分け」が行われているとしている<ref>『ネットいじめ――ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」』 225頁など。</ref>。|group="注"}}はこのキャラの可変性に注目した論考を行っている。それらを踏まえた評論家の[[海老原豊]]の論<ref>「空気の戦場――あるいはハイ・コンテクストな表象=現実空間としての教室」『サブカルチャー戦争 「セカイ系」から「世界内戦」へ』343-346頁。</ref>によれば、カースト/キャラが可変性と不変性を併有しているのは、その位置決定にかかわるコミュニケーション能力そのものが、具体的な対人関係の中で成長させることが可能ではあるが、家庭環境のような(当人にはコントロール不可能な)外的要因の影響も受けるという二面性を持っているからであるとしている。そして、そもそもカースト/キャラの可変性の前提となっているのは現代におけるメディア・テクノロジー環境の変化をもたらした個人の固定的な身体性(階級・生育環境など)の抑圧であり、その箍が外れたときに(あたかも本物のカースト制度のように)「本来あるべきカースト」への固定化が働くと考えられる<ref group="注">例えば、中学時代にいじめられていた子供が、中学卒業・高校入学を機会にキャラを変更して(いわゆる「高校デビュー」)カーストの上昇を試みて成功したかに見えても、ひとたび過去の自分の姿を暴露されれば(抑圧が解放されれば)再びカースト最下層への転落を余儀なくされる、ということ。</ref>。
 
===統計調査===