「万役山事件」の版間の差分

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== 発端 ==
正徳5年[[6月6日 (旧暦)|6月6日]]([[1715年]])、西久米村の百姓・喜兵衛、その長男・惣右衛門、次男・三之允が田の草をとっての帰りがけに、かつて植えておいた小松1本を切り取り、田の畦修理のために持ち帰ろうとしたのを、徳山藩の山回り[[足軽]]である[[伊沢里右衛門]]と久助が見つけて咎めたのが事件の発端である。そして咎めた後に争いとなり、里右衛門は喜兵衛の首を刎ねてしまった。
 
== 萩藩の言い分 ==