「7.62x51mm NATO弾」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
56行目:
7.62×51mm弾自体の開発は[[第一次世界大戦]]の直後から始まった。理由として、.30-06弾が半自動射撃や連続射撃時に扱いにくいという事情があった(.30-06弾自体が、.30-03弾の弾頭を軽量にして高初速にしたもの)。より短い弾丸は、機関部のコンパクト化に結びつき、給弾をスムーズにし、毎分あたりの発射速度を高くする。その時点でのもっとも有望な弾丸は、[[.276ペダーセン弾]](約7mm)であった。しかし、1932年にアメリカ陸軍は、.30口径(7.62mm)の弾丸のみが必要条件を満たすとして却下した。
 
[[1940年代]]から1950年代初期までの間に、[[M1ガーランド]]を改良する実験が[[スプリングフィールド国営造兵廠]]で行われた。主に装填方法をエンブロック・クリップ(8発入り)から箱形弾倉に変更することや、フルオート射撃を可能にすることなどの改良が行われた。一番有名なものは[[ジョン・ガーランド (銃器設計者)|ジョン・ガーランド]]技師が改良した'''T20'''で、アメリカ陸軍はこの設計を[[M1ガーランド]]の代替に十分有望と見て、弾薬も一緒に改善すべき時期であると決定した。
 
試作は数年の間続けられ、.30-06弾だけでなく、.300サヴェージ改良弾(後の7.62x51mm NATO弾)対応モデル('''T65弾'''として知られる)も試作された。この試作品は、.30-06弾とほとんど変わらない性能、すなわち147グレイン(約9.5g)弾頭を約838m/sで発射できることを実証した。その一方で、給弾をより短時間かつ高い信頼性で行うこともできた。T20自動小銃をT65弾に適合するように設計された'''T44'''は、コンペにおいて競合する銃を寄せ付けず、採用にこぎ着けた。