「同中書門下平章事」の版間の差分

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元々は'''同中書門下三品'''という。唐初には[[中書令]]・門下[[侍中]]・[[尚書]][[僕射]]がそれぞれ宰相職とされていたが、それよりも下の、主に尚書省の官僚が宰相に任じられることがあった。この時、中書令などの本来の宰相職より[[官品]]が低いのは不都合が生ずるので、臨時に同中書門下三品を授けて、中書令らと同格の正三品官としたのである。[[高宗 (唐)|高宗]]の[[650年]]に「同中書門下平章事」と改称され、中書令らと共に正式な宰相職とされた。
 
中唐以降、本来の宰相職であった中書令・門下侍中・尚書僕射が名誉職化するにつれ、それに代わって同平章事は事実上の宰相職として権限を強めていった。同平章事に任命される者は、中書侍郎(次官)や門下侍郎や[[三省六部#六部|六部]]のいずれかの尚書など、必ず本来の官職との兼任であった。[[節度使]]に対しても名誉称号として同平章事が授けられ、更には[[塩鉄使|塩鉄]][[転運使]]などにも授けられることもあった。
 
[[宋 (王朝)|宋]]代になると唯一の宰相職とされ、通常2~3名が任命された。[[神宗 (宋)|神宗]]の[[元豊の改革]]の際に同平章事は廃止され、代わって尚書右僕射(中書侍郎を兼任)・尚書左僕射(門下侍郎を兼任)の2人が宰相とされた。[[南宋]]になってから一時復活したが、再び廃された。