「コメット連続墜落事故」の版間の差分

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結局原因は断定されなかったが、このように当時は悪天候説が有力で、コメットに内在していた構造上の欠陥にまでは衆目の考えが及ばなかった。しかし現在では、下記の連続空中分解事故の一貫として捉える見方が一般的である。
 
連続事故がスキャンダラスに報道されたこともあって、「ジェット旅客機は時期尚早」という世論が再び高まったため、デ・ハビランド社は[[1953年|同年]](1953年)の[[ファーンボロ]][[ー国際航空ショー]]における試作1号機の引退飛行で、観衆の頭上の超低空でアクロバティックなデモフライトを敢行して、悪評の打ち消しに躍起となった。
 
== コメット連続墜落事故(1954年) ==