「アッバース朝」の版間の差分

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==概要==
[[イスラム教]]の開祖[[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|ムハンマド]]の叔父[[アッバース (ムハンマドの叔父)|アッバース]]の子孫を[[カリフ]]とし、最盛期にはその支配は西は[[イベリア半島]]から東は[[中央アジア]]まで及んだ。アッバース朝では[[アラブ人]]の特権は否定され、すべての[[ムスリム]]に平等な権利が認められた。
 
東西交易、農業灌漑の発展によってアッバース朝は繁栄し、首都バグダードは[[産業革命]]以前における世界最大の都市となった<ref>宮崎正勝・著 『イスラム・ネットワーク アッバース朝がつなげた世界』、1994年</ref>。また、バグダードと各地の都市を結ぶ道路、水路は交易路としての機能を強め、それまで世界史上に見られなかったネットワーク上の大商業帝国となった。
 
アッバース朝では、[[古代エジプト|エジプト]]、[[バビロニア]]の伝統文化を基礎にして、[[アラビア]]、[[ペルシア]]、[[古代ギリシア|ギリシア]]、[[古代インド|インド]]、[[中国]]などの諸文明の融合がなされたことで、学問が著しい発展を遂げ、近代科学に多大な影響を与えた。イスラム文明は後のヨーロッパ文明の母胎になったといえる。
 
アッバース朝は10世紀前半には衰え、945年にはブワイフ朝がバグダードに入城したことで実質的な権力を失い、その後は有力勢力の庇護下で宗教的権威としてのみ存続していくこととなった。1055年