「個人主義」の版間の差分

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政治的個人主義は、政治的権威の源泉を個々人のうちに求める。ホッブスの闘争状態を仮定した社会契約説に対して、イギリスの哲学者[[ジョン・ロック|ロック]]は、自然状態を平和なものとみた。また、フランスの哲学者[[ジャン=ジャック・ルソー|ルソー]]は、個々人の意志の総和である全体意志とは別個に、全人民の意志とされる[[一般意志]]を構想し、[[人民主権]]を提唱した。この定義は極めて広いもので原理的には、特権的地位にある者が人民の真の目的を知っていると主張して、その目的のため政治を行うという形態での「全体主義」を含みえる<ref>スティーブン・ルークス「個人主義の諸類型」フィリップ・P・ウィーナー編『西洋思想大事典』2巻213頁、平凡社、1990</ref>。
 
経済的個人主義は、以上のような諸観念の複合体であり、特に消極的自由を尊重し、[[資本主義]]を擁護する。個々人の自由な経済活動によって、最大多数の最大幸福が実現されるとみて、[[社会主義]]、[[共産主義]]を否定する<ref>スティーブン・ルークス「個人主義の諸類型」フィリップ・P・ウィーナー編『西洋思想大事典』2巻213頁、平凡社、1990</ref>。経済活動のうえでは国家による干渉や統制を認めず、自由放任をよしとしたのである<ref>上掲宇都宮</ref>。[[リバタリアニズム]]は経済的個人主義を先鋭化させた思想である
 
[[方法論的個人主義]]は、社会学的個人主義を批判して、あらゆる社会現象は、実在する個人に還元されるべきであると主張した。理論的には、実在するの個々人であり、社会や国家は個人の集合をさす名称にすぎないとする社会唯名論であり、社会実在論と対立する<ref>上掲宇都宮</ref>。これに対しては、社会実在論の立場から、[[場の雰囲気]]に流される傾向をもつ[[群衆]]と化した個人がより強固なシンボル・指導者を求めて全体主義へと至る危険性が[[エーリヒ・フロム]]によって指摘されている。また、ギリシア語のanomos(法がないこと)に由来する[[アノミー]]の概念を提唱した社会学者の[[デュルケーム]]が、個人の無制限な自由がかえって当人を不安定にすることを問題とした。
 
倫理的個人主義は、個人が道徳の規準であるとする。カントは、自己発展と自律を組み合わせ、人格の完成は道徳的人格の確立以外にないとした<ref>上記宇都宮</ref>。倫理的個人主義に対しては、[[フリードリヒ・ニーチェ|ニーチェ]]は伝統的な価値を全く否定する[[ニヒリズム]]に至るというディレンマを指摘している<ref>スティーブン・ルークス「個人主義の諸類型」フィリップ・P・ウィーナー編『西洋思想大事典』2巻213頁、平凡社、1990</ref>。個人の利益・欲としての幸福だけが道徳の規準になるとすれば、それは[[エゴイズム]]・[[利己主義]]につながり、幸福がもっぱら自己の快楽であるとされれば、それは享楽主義につながり、ドイツの哲学者[[シュティルナー]]の「唯一者」の思想は、この種の個人主義の代表とされた<ref>上掲宇都宮</ref>。
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個人が、国家などの抑圧的存在に対抗してその信条を貫いた他の例として、[[良心的兵役拒否]]、あるいは[[内村鑑三]]の[[内村鑑三不敬事件|不敬事件]]のような信仰上の対立などが挙げられる。
 
個人主義は自己所有権の不可侵や個人の[[消極的自由]]を尊重するという側面があり、[[リバタリアニズム]]は個人主義を先鋭化させた思想である。
 
== 参考文献 ==
*スティーブン・ルークス「個人主義の諸類型」フィリップ・P・ウィーナー編『西洋思想大事典』2巻213頁、平凡社、1990
*[[宇都宮芳明]][http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%80%8B%E4%BA%BA%E4%B8%BB%E7%BE%A9/ 「個人主義」] - [[Yahoo!百科事典]]
*『個人主義論考 近代イデオロギーについての人類学的展望』 ルイ・デュモン著 渡辺公三・浅野房一訳 ISBN 4-905913-46-2 1993年
 
== 関連文献 ==
*『個人主義論考 近代イデオロギーについての人類学的展望』 ルイ・デュモン著 渡辺公三・浅野房一訳 ISBN 4-905913-46-2 1993年
*『日本の個人主義』 [[小田中直樹]] ちくま新書 ISBN 4-480-06306-4 2006年
*『トクヴィル 平等と不平等の理論家』 [[宇野重規]] 講談社選書メチエ ISBN 4062583895 2007年