「ティモシー・ダルトン」の版間の差分

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[[ウェールズ]]のコルウィン・ベイで生まれ、父親が[[マンチェスター]]で広告業に就いていたため、[[ダービーシャー]]のミルフォードで育つ<ref name='BBC2003'>{{cite news|url=http://www.bbc.co.uk/derby/features/famous_derby/timothy_dalton.shtml|title=Timothy Dalton|publisher=[[英国放送協会|BBC]]|date=2003-1|accessdate=2009-8-2|language=英語}}</ref>。父親はイギリス人、母親はアイルランド・イタリア・イギリスの血を引くアメリカ人。
 
子供の頃から演じることに興味があったが、16歳の時『[[マクベス (シェイクスピア)|マクベス]]』の舞台を観て本格的に俳優を志す。高校卒業後は[[王立演劇学校]]に入学し、そこで2年学んだ後、[[バーミンガム]]の劇団に入団するため学校を去る。それから間もなくテレビ出演を重ねるようになり、[[1968年]]『[[冬のライオン (1968年の映画)|冬のライオン]]』で銀幕デビューを飾った。
 
[[1987年]]、[[イギリス]]の大人気シリーズ映画『[[ジェームズ・ボンド|007]]』シリーズの4代目[[ジェームズ・ボンド]]役として、シリーズ第15作『[[007 リビング・デイライツ]]』と 第16作『[[007 消されたライセンス]]』に出演した。[[ショーン・コネリー]]、[[ロジャー・ムーア]]という2大「長期政権」の後でダルトンの起用を危ぶむ声も多かったが、若々しく活動的かつ'''本格派'''な新しいボンド像を作りあげた功績は大きい。『[[007 リビング・デイライツ]]』の際、プロモートで来日した。
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!公開年!!邦題<br />原題!!役名!!備考
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|1968|| [[冬のライオン (1968年の映画)|冬のライオン]]<br />''The Lion in Winter'' || [[フェリペ2世]] ||
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|rowspan="2"|1970|| [[嵐が丘 (1971年の映画)|嵐が丘]]<br />''Wuthering Heights'' || ヒースクリフ ||