「渋谷暴動事件」の版間の差分

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== 概要 ==
1971年[[11月10日]]に[[沖縄県]]で打たれた[[沖縄返還協定]]批准阻止の[[ゼネラル・ストライキ]]([[11・10ゼネスト]]または[[沖縄ゼネスト]])に呼応し[[渋谷]]・[[四谷]]などで行なわれた「[[沖縄返還協定批准阻止闘争]]」で、[[革命的共産主義者同盟全国委員会]](中核派)の学生ら約400人が、渋谷で警戒中の[[機動隊]]や渋谷駅前[[派出所]]を[[火炎瓶]]等で襲撃。そして、中核派の学生らが、規制しようとした関東管区機動隊新潟中央小隊([[新潟中央警察署]])の中村恒雄巡査を鉄パイプで殴打した後、大坂正明が火炎瓶を投擲。中村巡査は翌15日午後9時25分に死亡、まだ21歳の若さだった。他3人が重傷を負った。
 
警察はこの事件のデモ隊を指揮した星野文昭、荒川碩哉、奥深山幸男、大坂正明ら中核派の学生7人を犯人と特定し、その内大坂以外の星野、荒川、奥深山ら6人が1975年8月までに逮捕・起訴された。[[1987年]]7月に星野に[[無期懲役]]([[徳島刑務所]]在監。無関係であると主張し再審請求中)、荒川に懲役13年が確定した(荒川は[[2000年]]7月満期出所)。大坂のみが2013年1月現在も逃走中で、[[殺人罪 (日本)|殺人罪]]、[[放火及び失火の罪|放火]]、[[傷害罪]]、[[凶器準備集合罪・凶器準備結集罪|凶器準備集合罪]]、[[公務の執行を妨害する罪|公務執行妨害]]容疑で[[指名手配]]されている<ref>{{Cite web