「力皇猛」の版間の差分

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本人自身は二子山部屋に残ることを希望したが、内弟子としての入門であったため、[[1989年]]2月に鳴戸親方が二子山部屋から分家独立して[[鳴戸部屋]]を創設した際、鳴戸部屋に移籍した。移籍後は師匠の厳しい指導方法に反発し、ことあるごとに鳴戸親方とは対立した。[[幕下]]時代には門限に遅れたことを叱責されて[[丁髷|髷]]を切り落としたほどであった。
 
[[1996年]]7月場所、ライバルながら仲良しだった[[琴龍宏央|琴龍]]と共に新入幕を果たす。腕力が強く強烈な[[上手投げ]]を打つ豪快な取り口で、将来は[[三役]]も嘱望された。しかし[[幕内]]8場所目の[[1997年]]9月場所前に私生活当時自身こと交際相手あった女性の話を巡って師匠および師匠夫人と対立し部屋を飛び出してしまう。その1997年9月場所は、自身最高位の前頭4枚目まで昇進しながら、初日から全休だった(当初は[[肝機能障害]]による病気の理由で[[休場]]届を提出していた)。その後鳴戸部屋には戻ることもなく、そのまま24歳で角界から[[引退]]した。一説には力櫻自身が自ら破門を申し入れ、鳴戸親方もそれに応じる形で引退届を提出したともいわれる。それゆえに、引退の記者会見が行われることもなかった。なお力櫻の[[断髪式]]は鳴戸親方らは出席せず、相撲関係者の有志がそれぞれ集まった上で行われ、最後の止め鋏を入れたのは[[小錦八十吉 (6代)|小錦]](元大関・当時[[佐ノ山]]親方)であった。
 
=== プロレス時代 ===