「月山富田城」の版間の差分

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== 概要 ==
歴代の[[出雲国]][[守護]]職の居城で1396 ~1566年([[戦国時代_(日本)|戦国時代]])には[[戦国大名|大名]][[尼子氏]]の本拠地となり以後尼子氏とともに山陰の要衝の地となった。尼子氏は[[中国地方]]の覇権を巡って周辺諸国と争い尼子経久の時期に出雲に基盤を造り上げ、嫡孫晴久の代には山陰・山陽八ヶ国守護の大大名となった。天然の地形を利用した、最も難攻不落の要塞城といわれ「天空の城」とも呼ばれていた。そのため、遠く海岸沿いにある日立金属の巨大工場も眺めることができる。その後、城を巡っても度々攻防戦が行われた(詳細は[[月山富田城の戦い]]参照)が、最終的に尼子氏は[[毛利氏]]によって滅ぼされ、城も毛利領となった。[[1600年]](慶長5年)以降、堀尾氏が城主となるが、[[1611年]](慶長16年)、[[堀尾忠晴]]が[[松江城]]に移り廃城となったが、それまで山陰の首城たる地位を失わなかった。[[1934年]](昭和9年)、国の[[史跡]]に指定された。
 
== 歴史・沿革 ==