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'''木村光一'''(きむら こういち、[[1931年]][[10月3日]] - )は、日本の[[演出家]]。[[千葉県]]出身。
 
== 経歴・人物 ==
[[東京都立両国高等学校・附属中学校|都立両国高等学校卒業]]、[[東京大学]]文学部中退。[[文学座]]に文芸・演出部員として入り、1963年に演出家としてデビュー。1981年に文学座を退座した後は、演劇制作体「[[地人会]]」を主宰し、演劇分野で幅広い活動を行う。[[桐朋学園芸術短期大学]]特任教授も務める。
[[東京都立両国高等学校・附属中学校|都立両国高等学校卒業]]、[[東京大学]]文学部中退。
 
[[東京都立両国高等学校・附属中学校|都立両国高等学校卒業]]、[[東京大学]]文学部中退。[[文学座]]に文芸・演出部員として入り、[[1963年]]に演出家としてデビュー。[[1981年]]に文学座を退座した後は、演劇制作体「[[地人会]]」を主宰し、演劇分野で幅広い活動を行う。[[桐朋学園芸術短期大学]]特任教授も務める
== 舞台 ==
 
[[桐朋学園芸術短期大学]]特任教授も務める。
 
== 主な作品 ==
=== 舞台 ===
*『薮原検校』(1973年、作:[[井上ひさし]])
*『頭痛肩こり樋口一葉』(作:井上ひさし)
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*『イーハトーボの劇列車』(作:井上ひさし)
*『化粧』(作:井上ひさし)
ほか多数
 
=== 受賞著書 ===
*劇場で対話は可能か — 演出家のノート(1985年、いかだ社)
*[[紀伊國屋演劇賞]](1982年)
*[[芸術選奨]]文部大臣賞(1990年)
*[[読売演劇大賞]]最優秀演出家賞(1994年)
*[[菊池寛賞]]([[2004年]])
 
=== 著書翻訳 ===
*劇場で対話は可能か — 演出家のノート(1985年、いかだ社)
 
== 翻訳 ==
*授業 [[ウジェーヌ・イヨネスコ]] [[安堂信也]]共訳 現代フランス戯曲選集第3 白水社、1961 
*[[ウェスカー]]三部作(1964年、晶文社)
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*ちからじまんのフェルディナント [[ヤーノシュ]] 日本図書文化協会 1977.12
*しょうねんとやせいのうま ヨゼフ・ヴィルコン 日本図書文化協会 1978.7
 
== 翻訳受賞 ==
*[[紀伊國屋演劇賞]](1982年)
*[[芸術選奨]]文部大臣賞(1990年)
*[[読売演劇大賞]]最優秀演出家賞(1994年)
*[[菊池寛賞]]([[2004年]])
 
== 外部リンク ==