「スタッフォード・ビーア」の版間の差分

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しかし1970年代中頃には自らの財産を放棄して[[ウェールズ]]中部に移り、ほとんど禁欲的なまでの生活を送った。 1980年代には[[カナダ]]、[[トロント]]中心街に 2 番目の自宅を建設してイギリスとカナダに交互に暮らす生活を送った。
 
[[マンチェスター・ビジネス・スクール]]の他、30 に近い大学の客員教授を務め、[[リーズ大学]]<!--University of Leeds-->、[[ザンクトガレン大学]] ({{lang-ende-short|[[:en:University of St. Gallen|Universität St. Gallen]]}})、[[サンダーランド大学]] ({{lang-en-short|[[:en:University of Sunderland|University of Sunderland]]}})、[[バリャドリッド大学]] ({{lang-enes-short|[[:en:University of Valladolid|Universidad de Valladolid]]}}) から名誉博士号を受けた。 また {{lang-en-short|&ldquo;World Organization of Systems and Cybernetics&rdquo;}} の代表を務めた。
 
2 度の結婚をし、また晩年の 20 年間は同じサイバネティクス研究者の {{lang-en-short|[[:en:Allenna Leonard|Allenna Leonard]]}} がパートナーであった。 5 人の息子と 3 人の娘がおり、うちヴァニラ・ビーア (Vanilla Beer) は芸術家・エッセイストである。
 
== 業績 ==