「長尾晴景」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Addbot (会話 | 投稿記録)
m ボット: 言語間リンク 3 件をウィキデータ上の d:q1129287 に転記
29行目:
== 生涯 ==
=== 家督相続 ===
[[越後]][[守護代]]・[[長尾為景]]の子として生まれ、幼くして主君の越後[[守護]]・[[上杉定実]]の[[猶子]]となる。<ref>「[[日本随筆大成]]」に拠ると、定実が為景の姉妹を娶った際に、為景の嫡子・六郎(のちの晴景か)を猶子とする約定を取り交わしたと云われる。</ref>定実の娘を娶ると共に[[偏諱]]を受け「'''定景'''」(さだかげ)と名乗る。のちに将軍[[足利義晴]]から偏諱を与えられ「'''晴景'''と名乗(はかげ)に改名。天文5年([[1536年]])に父・為景の隠居により、[[家督]]を譲られて[[春日山城]]主となるとともに越後守護代を補任された。
 
父の為景と異なり穏健な政策をとり、領内の国人との融和を図った。越後における争乱を鎮めることにはある程度成功したが、主君である越後守護の[[上杉定実]]の[[伊達氏]]からの[[養子縁組]]問題([[天文の乱]])で越後国内が乱れた際に中条氏らを抑えることはできなかった。伊達氏の内紛に助けられ守護上杉家の復権は阻止したものの、[[黒田秀忠]]などが反乱を起こし越後国内の情勢はますます不穏になる。