「むつ市」の版間の差分

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== 歴史 ==
'''田名部'''は藩政時代には[[南部藩]]([[盛岡藩]])の代官所が置かれていた。当時より下北地方の要の町として開け、田名部川の水運で栄えた。また、[[大湊]]村は芦崎の良港を有して、[[北前船]]の風待港として賑わった。[[1870年]]、[[戊辰戦争]]で賊軍とされた[[会津藩]]が領地没収の引き換えに[[斗南藩]](となみはん)三万石として再興が許される。藩主は[[京都守護職]][[松平容保]]の嫡男、[[松平容大]]。会津藩の7割に当たる2800戸が移封させられた。翌年には廃藩となり、現在のむつ市斗南ヶ丘にその史跡がわずかに残る。斗南藩士たちは北辺の地で、薩長政府への復仇を誓い斗南「南、すなわち薩長と斗(戦)う」と名乗り開墾作業に従事したが、火山灰台地の痩せた土地で農業は振るわず、雪害で家屋は潰れ、野火により残った家屋も焼失し、病疫と飢餓により多くの死者を出し、次第に離散していった。しかし、わずかに残った者は、やがて西洋式牧場を成立し、新たな産業をこの地に残した。
 
'''[[大湊 (むつ市)|大湊]]'''は下北七湊の一つであり、明治以降は[[大日本帝国海軍|帝国海軍]]の[[軍港]]となった。太平洋戦争の末期は、[[大湊町 (青森県)|大湊町]]であり、市制施行していなかったが、海軍の基地があるということもあり空襲を受けた。終戦直前には海軍関係者も合わせて、町では異例の10万人近くの人口があった。大湊は現在でも海上自衛隊の基地があり、青森県以北を警備担当区域とする[[大湊地方隊]]の地方総監部が置かれている。他に、現在は独立行政法人海洋研究開発機構の保有する地球研究船「みらい」となった[[むつ (原子力船)]]の旧母港(新母港は関根浜に建設)が置かれていた。むつ市自体は海、先端技術との関わりの中で発展することを希望している。大湊に限って言えば比較的第3次産業の比重が高い。
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