「立憲主義」の版間の差分

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[[17世紀]]になると[[フランス]]において、権力が王権に集中するようになり、国王に対抗する中世的な身分的団体である各種[[ギルド]]が君主によって解体されていく中で、君主は法の拘束から解放されているとされて[[絶対君主制]]が確立し、[[ローマ教皇]]の権利からの対外的な独立性と同時に、国内における最高性を示すものとして[[君主主権]]の概念が登場する。主権自体多義的な概念なので注意が必要であるが、上記の意味での主権概念の成立と同時に、巨大な権力である国家と向き合い対峙する、[[社会]]の最小単位としての[[個人]]という概念が成立したのである<ref>上掲樋口421頁</ref>。
 
'''近代的立憲主義'''は、このような絶対君主の有する主権を制限し、[[個人主義|個人の権利・自由を保護しようとする動き]]の中で生まれたのである。そこでは、憲法は、権力を制限し、国民の権利・自由を擁護することを目的とするものとされ、このような内容の憲法を、特に'''立憲的意味の憲法'''(近代的意味の憲法)という<ref>芦部・5頁</ref>。憲法学における立憲主義とは、近代的意味の憲法に従うことである<ref>樋口・420頁、芦部・5頁、佐藤・4頁、高橋・14頁、長谷部・8頁</ref>。<ref group="注釈">「憲法」に則って政治権力が行使されるべきであるとする考え方、あるいはそうした考え方に従った政治制度とも言い換えることができるが、様々な制度をもつ国がある国際社会では、いわゆる鍵括弧付きの「憲法」の内容として、どのようなものがその国の制度として備えられていれば、立憲主義を採用しているといえるかが問題とされるのである</ref>。<ref>「国連安全保障理事会に対する立憲的アプローチの試み」丸山政己(山形大学社会科学紀要第40巻第1号)[http://www2.lib.yamagata-u.ac.jp/kiyou/kiyous/kiyous-40-1/image/kiyous-40-1-033to063.pdf]P.45PDF-P.13</ref>。[[フランス人権宣言]]16条には「権利の保障が確保されず、[[権力分立|権力の分立]]が規定されないすべての社会は、憲法をもつものでない」<ref>邦訳については「近代人権宣言と抵抗権の本質について」小貫幸浩(早稲田大学法学会誌1991)[http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/6474/1/A05111951-00-041000103.pdf]PDF-P.2</ref>とある。(アンシャンレジームからの解放としての)個人の[[人権]]の保障、および権力分立は、その重要な要素である。
 
フランスでは、[[1789年]][[フランス革命]]が起こり、その後成立した[[1791年憲法]]は、[[国民主権]]の原理を宣明するとともに、国王を国家第一の公務員にすぎないと定めた。ここでの国民は、抽象的な全体を示すナシオンであるとされ、個々の市民の総体であるプープルと厳密に区別されていた。しかし、[[1792年]]、[[立憲君主派]]の擁護もむなしく、時の国王[[ルイ16世]]がその浅はかな行動によりギロチンにかけられることになり、このことが英国を始め諸外国の反発を招き、フランス包囲網へと発展する。このような国際状況下、フランスは、[[帝政]]を経験し、政治的な混乱を極める中で、[[共和制]]へ移行していく。その過程で、ナシオン主権論をとるか、それともプープル主権論をとるかが、統治構造のあり方を変えるものとして議論されるようになったのである<ref>上掲樋口65頁</ref>。